爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

臨時国会も開かず記者会見もしない首相がこんなところだけでは話してます。

再三の野党からの臨時国会開催要求も無視し、記者会見すらほとんど出てこない首相ですが、15日の戦没者追悼式では場違いな「積極的平和主義」をしゃべったそうです。

www.tokyo-np.co.jp

数々の対コロナ政策の失敗で、もはや政権継続の意欲も無くしたかと思っていました。

数兆円にも及ぶ予算処置など、国会で対処すべき問題が山積しているにも関わらず、自分の答弁がもうめちゃくちゃになることだけを怖れているのか、臨時国会の開催も拒否という完全に首相としての役割を放棄しているかのようですが。

首相式辞の中では「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決にこれまで以上に役割を果たす決意だ」と、いちおう「役割を果たす」という言葉はありますので、まだ意欲があるのでしょうか。

 

しかし、それが「積極的平和主義」遂行への役割だけではどうしようもない。

上記発言の中、誤った表現を訂正しておきますと「国際社会」は「アメリカ」、「手を携え」は「言われる通りに」、「世界が直面している」は「米日支配層が直面している」、「これまで以上に役割を果たす」は「言われるままにさらに金を出す」です。

 

さらに「積極的平和主義」は、私は「ジャイアン型平和主義」と呼んだ方が分かり易いものと考えています。

つまり、あのドラえもんジャイアンですが、「みんな、俺の言うことを聞け、でないとぶん殴るぞ」で「空地の広場は平和が保たれめでたしめでたし」ということです。

もちろん、ジャイアンアメリカ、日本はさしずめスネ夫でしょうか。

もうそれほど金持ちではないですが。

 

なお、自分ではさすがに行けない15日の靖国参拝ですが、息のかかった腹心閣僚を靖国に派遣しました。

彼らが口々に言うのは「国のために亡くなった方々に哀悼の意を捧げるのは当然だ」ということです。

眞にごりっぱな心掛けですが、周知のとおり靖国神社に祀られているのは兵士だけです。

そのほかにも犠牲になった多くの国民が居ますが、彼らにたいしても当然、「哀悼の意」を捧げているのでしょうね。

それをすべて果たしたうえで、靖国にも参るというのは、まさに立派な行為でしょう。