私は大学卒業とともに家を離れ会社の寮生活、その後は結婚してずっと家内の料理を食べ続けすでに40年以上。
家にいた当時の母の手料理というものもほとんど忘れそうになってしまいます。
それでも思い出せるものを書き残しておきます。
私の母は昭和初めの生まれ、8年前に88歳で亡くなりました。
長野県南の貧しい農家の生まれで23歳で結婚するまでは家にいたため、色々な料理に触れる機会もほとんど無かったと思います。
父と結婚して東京に出てきてから色々な料理に挑戦していったのでしょう。
とはいえ、まったく情報もない中、料理教室にも通ったことがあるようで、私が幼稚園に通っている頃に教えてもらいにいったようです。
美食経験があるわけでもなく、また食費に掛けられる金もさほどないとあって苦労して料理を作っていたようです。
それではそんな母の料理の中から印象深いものを。
お年取りのお汁
これは年末年始の特別な料理で、おそらく結婚前からの経験があったものでしょう。
大根や里芋、切昆布、ニンジンなどを醤油味のお汁とするものです。
これを大みそかの夜に食べました。
他の家の状況などは知る由もなかったのですが、調べてみると南信州独特の風習と料理があったようです。
life.ja-group.jp他の地方では正月を迎えてからお節料理を出すのですが、南信州では大みそかの夜からそれを出し、さらに「年取りの汁」という、我が家でも食べていたものと同じものを食べる風習があるようです。
なお家では魚もブリの切り身を焼いていましたが、おそらく南信でも同様だったのでは。
蒸し餃子
これはいつ頃習った料理か分かりませんが、結構ひんぱんに作っていました。
現在では餃子と言えばほとんどが焼き餃子でしょうが、なぜか母の餃子は蒸し餃子でした。
おそらくは昭和30年代前半に名古屋に住んでいた頃誰かに教わったのでしょう。
皮まで手作りとまではいきませんが、市販の餃子の皮を使いひき肉と白菜かキャベツを混ぜた餡をつめ、蒸し器で蒸すというものです。
焼き餃子にすると皮がパリっと焦げるのですが、蒸し餃子ではそうならず、つるんとした食感で食べられました。
結婚以来家内の手作り餃子はしょっちゅう食べていますが、必ず焼き餃子になります。
たまには蒸し餃子も食べてみたいとおもうのですが、怖くて言えません。
湯豆腐
これは懐かしい母の手料理というよりはほろ苦い思い出の方です。
父はそこそこの収入があったはずですが、自分で使う分をパッと給料から取って残りを母に渡すというやり方で、母はいつも厳しいやりくりをしていました。
そのためか、給料日前ともなると食費も苦しくなり、そこでたびたび登場したのが「湯豆腐」
なにしろ当時も安かった豆腐くらいしか入りません。
美味しくないとは思わなかったのですが、中高生だった私たちにとってはちょっと(というか大いに)物足りないメニューでした。
マグロのカレー
これも経済性優先のメニューです。
カレーは時々出てきた料理ですが、昭和30年代にはまだまだ肉は高価。それも牛肉などはほとんどなく、豚か鶏だったのですが、それでも割高でした。
そこで、今では全く状況逆転ですが、その頃は安かったマグロのぶつ切りがカレーに入ってしまいました。
マグロも料理次第では高級になるのでしょうが、カレーに入ってしまうとパサパサであまり美味しいものではありませんでした。
どうも母の料理というとほとんどが節約メニューの話になってしまいそうです。
それでも父の趣味(カメラが大好きでした)が治まってきた高齢になると余裕も出てきたのか、高価な食材の料理も徐々に増えてきたようです。
今となっては思い出だけになってしまいました。