爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「幻の麵料理 再現100品」魚柄仁之助著

明治以前の日本の麺料理といえば小麦粉を練ったうどんやそうめん、そばといったものだったのでしょう。

しかし現在では様々な麺が存在しています。

ただし、中華料理やイタリア料理などに由来しているようではあるものの、その原型からははるかに離れた日本独自のものに変化しています。

それはどういった経緯で出来上がったのか。

それを調べていくと、大正から昭和にかけての時代に数多く出版されていた家庭婦人向けの「料理本」といった本に行きあたりました。

そこには当時の高級料理であった舶来の中華料理や西洋料理を何とか家でも作ってみようというご婦人たちに向けて手元にある食材を使って作らせようというレシピが載っていました。

そういったものを100点選び、著者の魚柄さんが実際に作ってみて食べた感想まで書かれています。

なお、本書中に著者も強調しているように「当時の本に載っていたからといって広く食べられていたなどという事実はない」ということは気を付けなければいけないところです。

こういった本には結構奇をてらったようなものもあり、また実際の調理などは考えていないようなものあるようです。

今は失われた幻の料理ですが、失われた理由も分かるようです。

 

大きく分類されていますが、「うどん麺のナポリタン」「ホワイトソース系のうどん」「ガラパゴス化する日本のスパゲッティ」がスパゲッティ系。

「かけ汁系カレーうどん」「餡掛け系カレーうどん」「カレーうどん以外のカレー系」

カレーうどん系。

「和風スパゲッティ」「スパゲッティ弁当」「スパゲッティ中華風」が和風スパゲッティ系。

「タンバールというマカロニ料理」「マカロニ自由系」がマカロニ系。

そして「ラーメンのルーツから列島制覇まで」でラーメンを扱います。

この表題だけ見てもだいたいの傾向は分かります。

 

カレーうどんもカレーの渡来から和風に落ち着くまでさまざまな経過をたどったようです。

かけ汁系、餡かけ系と試行錯誤を繰り返しましたが、著名な料理かもレシピを発表していました。

1967年に当時の人気絶頂だった田村魚菜、東畑朝子のお二人がそれぞれ料理本に執筆していますが、どちらもカレー餡かけ風だったようです。

現在では販売しているカレーうどんのほとんどはかけ汁系となっていますので、餡かけ風というのは受け入れられなかったのでしょう。

 

なお麺料理だけに限った話ではないのですが、「出し汁」についてもコラムに書かれていました。

今は「日本人は昔から出し汁を使っていた」かのように思っている人もいるようですが、考えてみても鰹や昆布のような高級食材を使って出汁を取ることができたのはごく一部の人だけだったのでしょう。

そのような出汁ではなく、入れる食材から出てくるわずかなうまみだけで食べていた程度でした。

そんな時代に出現したのが味の素だったのです。

「最初に鰹や昆布からとる出汁があり、それが味の素に移ったがまた出汁に回帰した」のではなく、大半の日本人はうま味調味料で味を覚えてから鰹や昆布を使うようになったということです。

大半の日本人にとって家庭料理で現在のような濃厚なうま味を享受できるようになったのはせいぜいここ50年くらいのもので、とても出汁の味が伝統的和食の特徴などとは言えないということでした。

 

パスタの流入では最初の頃はスパゲッティよりはマカロニの方が主流でした。

しかしイタリア料理をそのまま作るような状況ではなかったため、和風に食べるというレシピも紹介されていました。

その中で珍品が、「マカロニ入りのお吸い物」でした。

国立栄養研究所が1924年(大正13年)に出した「美味栄養経済的家庭料理の献立」という本の中に紹介されています。

出汁と柔らかくゆでたカットマカロニを鍋に入れ、塩と醤油をくわえて5分間煮るというだけのものです。

これを椀に注ぎ柚子の皮をくわえて完成。

生麩か生湯葉のような食感で、見事なものになっているそうです。

 

しかし大正から昭和初期の家庭でこのような料理を作った人もいたんでしょうか。

家族が驚いたでしょう。