爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

リスク学者永井孝志さんのブログで「リスクと倫理」

リスクというものについては非常に高い関心を持っています。

参考にさせてもらうことの多い、リスク学者永井孝志さんのブログで、「リスクと倫理」というテーマで解説されていました。

nagaitakashi.netこれは「その1」として、リスクの善悪・功利主義・リスク評価と価値判断・予防原則についてです。

 

リスク学というものにおいて、倫理が非常に重要になります。

リスクを考えてそれへの対策を取っていくとすると、どうしてもそのリスクの大きさ、そしてそれに対する対策の大きさ、さらに対策を取ることによって起きる別のリスクなど、一つ一つが影響を持っておりそれが広がることによる社会の動きまで見渡さなければなりません。

そのため、倫理というものを考えていく必要があるということです。

 

「良いリスクと悪いリスク」とは専門家と一般人で感覚が異なるものです。

どのような原因であろうと、人が死ぬことは最大のリスクですが、その死に方について専門家はどちらであっても死ねば同じとみるのに対し、一般人では「コロナだけでは死にたくない」というように、「よい死に方」「悪い死に方」を区別することが多いようです。

そのために、コロナ禍の時にもとにかくコロナ流行を抑えれば良いとばかりに他の影響を顧みず、たとえば飲食店休業を強いてその経営者や店員たちの収入を失わせるという影響を与えたといったことにつながりました。

 

功利主義

例の「トロッコ問題」で、5人死ぬより1人死ぬ方が良いと決めつけるのが功利主義ということです。

一概にそれを否定することはできませんが、安易にそれに任せるのもまずいと言うことでしょうか。

 

「リスク評価と価値判断」

リスク評価とは専門家が科学的に行うものだというのが普通の感覚かもしれませんが、実際にはリスク評価とは科学と社会の間にあってその隙間を埋める「レギュラトリーサイエンス」という性格を強く持っているということです。

つまり社会的な価値判断というものを強く意識しなければならない場合があります。

それは科学的に決められるものではなく、社会の同意を得るものでしょう。

たとえばリスク指標としてよく死亡率が用いられますが、それだけでは不十分であると損失余命やDALY(障害調整生命年)といったものを考慮する場合もあります。

しかし若年者の障害は余命が長いから影響が大きく、高齢者はどうせすぐ死ぬから小さいと言ってしまうとそれも問題です。

 

予防原則

これは一人歩きすることが多く、都合の良いように使われることもありそうです。

・コロナ感染拡大が手遅れになる前にワクチンを接種しよう
・ワクチンの危険性が明らかになってからでは遅すぎるのでやめたほうがよい

これはどちらも予防原則に基づいた意見ですが、やることは正反対です。

ここで引用されている、以前に解説した記事が大いに参考になりますが、予防原則にも強いものから弱いものまで多くのものがあり、一概に語ることはできません。

とにかく、この予防原則というものは特に倫理的問題を強く含むもののようです。

 

なかなか難しそうな「リスクと倫理」ですが、実際にリスクを評価し管理し実社会に役立てていくにはこれを軽視するわけにはいかないということでしょうか。