いつも参考にさせていただいている、「リスク学」の永井孝志さんのブログで、「予防原則」について解説されていました。
私もこの「予防原則」という言葉が非常に安易に使われていることにはこれまでも何度も取り上げています。
「何らかの危険が予測された場合は、科学的にそれが証明されなくても実施をしない」という、一見当然のように見えながらその実「自分の嫌いなものは禁止する」だけであるということからです。
永井さんの趣旨もその感覚に近いものと見受けました。
永井さんの記事も、時節柄、コロナウイルス感染広がりやワクチン接種を例にとって話を始めています。
「コロナ対策はやり過ぎくらいやっても良い」や「ワクチンは長期的な安全性が不明だから打たない方がよい」といった、まったく正反対に見える主張のどちらもが「予防原則」に則っているようですが、これこそ「予防原則」というものの性格を表しているものです。
「予防原則」「予防的取り組み」「未然防止」ということは、似ているようで違うということです。
「未然防止」はリスクが明らかなものでそれが顕在化する前に防止すること。
「予防原則」「予防的取り組み」はそれとは異なり、リスクがまだはっきりしていないものに対します。
この2者の違いは、費用対効果の違い、および後者が科学的リスク評価を重視するのに対し、前者(予防原則)は政治的判断を尊重するということにあるそうです。
また、予防原則にも弱いバージョン、強いバージョンがあると考えるべきであり、発がん性物質の使用規制のように「疑わしいものは使わない」というのが弱いバージョンとするなら、「某国は核兵器を開発しているから、他国を攻撃する前に先制攻撃しても良い」などという極端な強力バージョンもあります。
さらに、予防原則では「リスクトレードオフ」の考え方ができないということもあります。
ネオニコチノイド農薬のミツバチに対する有害性はリスクが立証できませんでしたが、予防原則と称してEUでは禁止されました。
しかし、他の農薬にはそれが適用されず、結局はネオニコチノイドを使わない代わりに他の農薬を使用するようになり、被害が出ているようです。
このような例はいくらでもあります。
永井さんがまとめている言葉が的確です。
このように、前者に予防原則を適用するなら、後者の「~かもしれない」のほうにも同時に予防原則を適用しないのはおかしいのです。そして後者にも予防原則を適用すれば前者の規制などができなくなり、結局のところ何もできなくなります。
自分の「キライなもの」にだけ予防原則を適用するのは、「俺は〇〇がキライ」と言っているのと何も変わりません。
私が考えていたこととほぼ同様のまとめとなっています。
これと同じことがあちこちで繰り広げられています。