異なる民族(人種)の男女の間に生まれた子ども「混血」、人々の交流が盛んになれば必ずといってよいほど現れてくるものでしょうが、日本では特に第二次世界大戦後に多く出生してきました。
これは占領軍として日本に進駐してきた主にアメリカの軍人たちと日本女性の間に子供が生まれたためです。
そして混血児問題というのもそこから始まりました。
本書著者の下地さんの母上もやはり沖縄で米軍人と沖縄女性の間に生まれました。
そのため著者もその混血という人々、それをめぐる社会といったものに強く関心を持ち大学でもその研究にあたり、この本は学位論文をもとに加筆して執筆したということです。(なお本書表紙の写真の女の子が著者の母上だということです)
混血をめぐる時期区分として、戦後を4区に分けて特徴づけています。
第1期(1945年から1960年代)主に米兵と日本人女性の間に生まれた子どもの問題
第2期(1970年代から1980年代)高度成長と欧米文化の強い影響の中、「ハーフ」という言葉が広まり、芸能人スポーツ選手の活躍が目立つ
第3期(1990年代から2000年代前半)日本が国際化を進めるなか、留学生や日系人労働者受け入れなども進む
第4期(2000年代後半から)ネットの広まりで不可視化(見てみないふり)をしてきた人種差別の状況も明らかになる。多文化共生といいながら人種差別の社会構造が歴然と残る
また、「混血」「ハーフ」と呼ばれる人もその状況は一人一人かなり異なるため、「位相」(フェーズ)という概念をとっています。
第1位相 日本の軍事基地の存在により生まれた 多くは米軍人軍属と日本女性
第2位相 オールドカマーと呼ばれる、旧日本植民地から日本に移住した朝鮮・台湾出身者と日本人との混血
第2位相 1980年代以降に日本にやってきたニューカマーと日本人との混血
この年代区分と位相区分を組み合わせることで複雑な混血を少しでも明らかにできるのではと考えられています。
終戦後早い時期から米兵と日本女性の間に子供が生まれ始めました。
その数は明らかになっていません。
この中には買売春の結果であったり、強姦によってだったりといった例も多いのですが、基地で働く女性を米兵との恋愛という場合も見られたようです。
しかし占領時代には日本政府は進駐軍におもねり混血児の問題を取り上げることはほぼありませんでした。
その後占領終了した後も状況は変わらず、日本には人種差別はないという建前のもと混血児に対するいじめなども見て見ぬふりをし、混血児への特別処遇はせず公平に扱うと言いながら何の対策もしないという時代が続きます。
しかし実際には地域や学校などでは混血児への差別やいじめは蔓延します。
そこにはいまだ鮮明にあった戦争の記憶、そして家族などに戦死者がいたという人々が多数おり、その敵だった米兵の子どもということでのいじめ発生ということもあったようです。
さらに公的支援というものが事実上皆無の中、エリザベスサンダースホームのような民間施設が辛うじて活動を続けるのみでした。
1970年代以降の第2期になると高度経済成長を果たして自信を取り戻した日本人ですが、アメリカ崇拝の嗜好が強化されその中で「ハーフ」という人々への思いも変化してきます。
まだ実際には白人の来日は少なかったためか、その代替として白人ハーフの主に女性だけが芸能界を中心にもてはやされるようになります。
その一方で「日本人論」も盛んになり日本人の特性や長所などが論じられるようになりますが、そこで言われる日本人とはほぼ「男性・大学卒・大企業勤務」だけを指しており、それ以外の人々、特に混血の人々などはほぼ無視されていました。
そのような「日本人」と典型的な(と考えた)「外国人」を二分法で分けてあれこれと差を見つけていただけのものが当時の日本人論だったようです。
1990年代以降になると多文化共生ということが言われるようになります。
それ以前は父親が日本人である場合のみ子供の国籍も日本だったものが母親が日本人でもそうなるように国籍法も改正されました。
さらに人手不足が深刻化する中で南米などから日系人を受け入れるということも始まります。
それ以外にもビジネス拡大で世界各国から日本への入国が増えてきます。
しかし「多文化共生」と言われながらもやはり「日本人」対「外国人」で捉えられることが多く、そこでは恣意的に人種というロジックが使い分けられていました。
著者はこの論文作成の過程で多くの人にインタビューを行ってきたそうです。
そこで意外だったのが、上記の分類の位相1、すなわちアメリカ進駐軍兵士と日本女性との間に産まれた混血児という人々がその地域にはほとんど残っていなかったことだそうです。
余りにもいじめや差別が激しかったからでしょうか、その土地を離れて都会に出てしまったようです。
しかし、多くの人が語っていたのは地域社会や学校、職場での激しいいじめ、差別の実態でした。
相手は差別とは感じていないことがありありと分かる場合でも無意識に傷つけるような言葉を発する人がほとんどだということです。
混血の問題というのは日本における人種、民族の意識からさらに人権の問題まで深く関わってくる問題なのでしょう。
なお、本書著者の意向と少し違う意味を感じたのは、これは本質的には外国人への差別意識なのではないかということでした。
ヨーロッパ諸国などと比べると国内に住んでいる外国人というのは在日朝鮮人・中国人を除けば非常に少ないものです。
そんな中で見た目にも明らかに日本人と違うと感じられる混血の人々に出会うと外国人差別というものが膨れ上がるのではないか。
混血の人々の側では別の思いが大きいのでしょうが、対する日本人の問題はそちらの方が大きいように感じます。