安岡章太郎は戦後の文壇で「第三の新人」と呼ばれ、少し遅れて出現した人たちの中の一人です。
1960年代初頭に安岡はアメリカロックフェラー財団の資金によりアメリカに半年間留学し、その後はエッセーを多く書くようになったということです。
この本も60年代の事柄や、アメリカの事情などが多く書かれていますので、主にその頃に書かれたものでしょう。
ただし、文庫版のあとがきには本人の1974年に書かれたものがありますので、まとめられたのはその頃ということでしょうか。
1960年代といえばまだまだ戦後の混乱の跡があちこちに残っており、まだ高度経済成長の前で日本の経済力もごく低いものでした。
そのためか、その少し後の様々な人々の文章と比べても日本というものの扱いが控え目なようです。
60年安保の混乱も日本の後進性の現れだといった考えが見えます。
アメリカでも滞在地がテネシー州ナッシュビルということで、まだ人種差別の風潮が強かったのでしょうか。
それでも留学生仲間には他の多くの国からの人々がおり、そこでの「小国意識の現れ」というのも現代では見られないものかもしれません。
もちろん、日本も小国として意識されています。
時代による意識の移り変わり、わずか60年ほどの間に日本人のそれも大きく波打ってしまったということでしょう。