DNA分析技術はすごい勢いで発展しており、一つの生物たとえば一人の人間の全遺伝子を解析することすら可能となっています。
遺伝子のDNAの分析が、人間のグループ化を可能としているということは、かなり以前から知られており、その方向での研究も多くの研究者によって行われてきており、多くの成果を出していますが、これまでは分析技術が追いつかずに不明のままとなっている事例も多かったのですが、急激な分析技術進歩で明らかになることも数多くあります。
この本は、そういった研究の最先端について、国立科学博物館人類研究部長という篠田さんが、2015年での知見を基に書かれており、日本向けの本ということで日本人に焦点を置いてはいますが、広く人類全体のことについても触れられています。
これまでの人類学では、主に化石として発掘される人間の骨の形状を基にその年代と進化の過程を推定していました。
しかし、遺伝子のDNAの分析を進めていくと、ところどころに変異の痕跡が残っており、それがどのように広まったかも分かっていきます。
これは、「現代人のDNAを分析して分かること」なのですが、もちろん化石からDNAを取り出し分析できれば、非常に多くの知見が得られます。
しかし、化石となった人骨というものは、ほとんどDNAなどは残らないもので、ごくまれに幸運があった場合に残存しているようです。
ホモ・サピエンス(新人)の誕生の地はアフリカであるというのは、ほぼ間違いないことです。
現代人の持つDNAの解析から得られているその最初の人々のいた年代は20万年前ですが、ホモ・サピエンスと見られる化石の年代も20万年前からということで、よく合致する結果が得られています。
DNA予測では、今の所約6万年前にアフリカを出たものと見られますので、10万年以上はアフリカ内部で過ごしていました。
その最初の集団は、全体として数千人規模であったと見られます。
ただし、皆一緒に暮らしていたわけではなく、採集狩猟民でしたので、数十人のグループに別れて住んでいたようです。
約6万年前に新人としては初めて(他のホモ属の種、原人は出ている)アフリカを出ました。
その集団はたった2系統、(つまり2グループ)であり、その人数はせいぜい数千人であったと推定できます。
そのわずかな人数が世界各地に広がり、アフリカ人以外のすべての人種の元となっているのです。
その後、いろいろなルートを通り広がっているホモ・サピエンスですが、あちこちで他のホモ属種と出会い、交雑もしています。
これは、全ゲノム解析ができるようになって初めて証明できました。
主にヨーロッパ系にはネアンデルタール人のDNAが、アジア系にはデニソワ人のDNAがわずかですが残っていることが分かりました。
「日本人の起源」ということでは、埴原和郎が提唱した「二重構造説」が定説とされていました。
これは、東南アジア系の縄文人が住んでいた日本列島に、北東アジア系の弥生人が流入して徐々に混血し現代人となったというものです。
しかし、DNAの解析を進めていくと、そのような「縄文人」と言える集団と言うものはどうやら無かったということが分かってきました。
縄文時代を作り出していた人々も、とても一つのグループと見なせるどころか、多くのグループが集まったものであるということです。
さらに、それらのグループが日本列島にやってくる前に、どこか特定のアジアのある場所に住んでいたと言うことも確定することはできず、親戚と見なせる現代人がどこかに居るということも分かりません。
元々は、6万年前の出アフリカを成し遂げた数千人の人々のうち、南アジアから東アジアに進んだ人たちのうち、たどった経路が若干ずれて、時期的にも少し差がついた程度の違いしかない人々がまた日本の地で出会ったということなのでしょう。
ミトコンドリアの多様性によって分類される、ハプログループという方法があるのですが、現代日本人の構成を見ると非常に多くのグループがあることが分かります。
一番多いのは、ハプログループDと呼ばれるもので、アジア各地にも見られるものです。
しかし、日本人にはその他にM,N,F等非常に多種のハプログループが見られます。
特に、M9bやM7aはほぼ日本にしか見られないと言うものです。
DNAを用いて過去の人口動態も知ることができるのですが、およそ5000年前から人口が急上昇していることが見られますが、M7aとM9bにはその傾向が見られないという特色があります。
これは、考古学的に見ても5000年ほど前の日本国内での遺跡の減少と言う現象が見られるということから、M7a、M9bはその当時に日本国内に住んでいて環境悪化で人口減が見られたものの、他のハプログループは「日本列島以外で人口増を果たした」と考えると合理的なようです。
巻末には、現状の人類学研究の問題点についても触れられています。
次世代シーケンサーを用いるDNA分析で、これまでのミトコンドリアDNA分析から核ゲノムDNA分析に移行し、非常に大量の情報が得られるようになりました。
しかし、考古学試料ではミトコンドリアは比較的残存しやすいのに比べ、核ゲノムは失われることが多く、適当なサンプルがなかなか得られないようです。
また、学会の状況として、非常に多数の研究者の協力が必要であるにもかかわらず、日本のこの学界ではあまり他との共同研究の習慣が無く、うまくいかないようです。
最後に、宮城県の五松山遺跡の発掘調査で、異常に人骨が散乱していた時の報告書に触れています。
発見当時の報告書には、「埋葬後の社会変化で、かつての埋葬地を破壊する行為が行われた可能性がある」となっていたのですが、この前の東日本大震災でその遺跡にも津波の被害があり、この人骨散乱はかつての大津波による被害であったことが証明されたとあります。
まあ、真実が解明されたとは言えるのですが、津波の恐ろしさを改めて認識させることでした。
その遺跡には、結局埋葬後に2回の大津波が押し寄せたことになります。
この分野の研究成果と言うものは、非常に進歩が速いだけにとてもおもしろいものがあります。これからもどんどんと成果が出るのでしょうか。