注目して見ている内田樹さんの「内田樹の研究室」ですが、週刊誌などの各所に掲載した記事や、各地での講演の内容などを記録してありますので、多数に上ります。
いずれも内容が詰まっていて読む価値十分のものですので、なかなか読み進みませんが、4月2日掲載の「憲法についての鼎談から」という、本年2月に実施されたという対談の内容が非常に面白いものでした。
内田さんは「暴論的仮説」とはしていますが、おそらくご自身ではかなり自信を持った見解ではないかと思うのが次の論点です。
敗戦後の日本の基本的国家戦略は、「対米従属を通じて対米自立を果たす」ということでした。これは敗戦国としてはそれ以外の選択肢がない必至の国家戦略でした。だから、後知恵で良い悪いを言ってもしかたがない。とにかく徹底的な対米従属を貫くことによって同盟国として米国に信任され、結果的に国家主権を回復し、国土を回復するというのが敗戦時の日本人の総意だったわけです。
これはちょっと盲点だったかもしれません。
現状が対米従属であるのは、紛れもない事実として受け取りやすいものですが、なぜそして誰がそのような状況にしてしまったのか。
それを考えてみると、確かに終戦直後からの我が国の立場と、それを率いてきた指導者たちの考え方というものは、「これもやむを得ない」というものだったかもしれないというのは、認めざるを得ないものかもしれません。
何しろ、占領下、そしてそこから独立を果たしたとは言っても実情はアメリカの支配下という実情で、対米独立なんて言ったら葬り去られるだけだったでしょう。
そこを、我が国の当時の指導者たちは「面従腹背」という方式で乗り切ったわけです。
そしてその手法である程度の成果を勝ち取ったというのも事実かもしれません。
そして、実際にこの「対米従属を通じての対米自立」というトリッキーな国家戦略は成功しました。1951年にサンフランシスコ条約で国家主権を回復し、68年に小笠原諸島が返ってきて、72年には沖縄の施政権が返還されました。だから、45年から72年までについて言えば「対米従属を通じての対米自立」というシナリオはそれなりの成果を上げたのです。
日本は50年代には朝鮮戦争を支持し、60年代、70年代は世界的な反戦機運の中で、「大義なき」ベトナム戦争でもアメリカを支持し、アメリカの世界戦略に従うことで、結果的には大きな果実を得たのです。
そして、その状況下で経済活動のみに専心し「対米独立を買い取る」として官民一体で働いたというのも一つの事実を表しているとも言えるでしょう。
しかし、その目論見をアメリカ人に見抜かれ、仕掛けられたのがバブルとその崩壊で、それで日本人の目標は夢と消えた。
もう対米従属は日本の国益を増すためには何の役にも立たない。
対米従属が有効だったのは、日本が「面従腹背」していたからです。腹の中では「いつかアメリカから主権を奪還する」つもりでいた。バブルの頃はアメリカの「寝首を掻く」くらいの気概があった。だから、アメリカも日本を侮ることができなかった。
状況は劇的に変わってしまい、アメリカの日本への態度も変わってしまった。
そこに気が付かないのか、あるいはまったく誤解しているのか、さらに対米従属を深めるしか無いと考えているのが現首相です。
戦後の日米関係というものについて、目を開かせてくれた一文であったと言えるでしょう。