コメ問題といえば、減反と言われてきた米生産調整、米価、経営規模、後継者不足、高齢化、耕作放棄地ということがよく話題になりますが、こうした個別の課題も重要なことながら、まずはこれまでの経緯を見たうえで5つの転換点というものを考えていく必要があります。
第1の転換点が1967年、それまでずっと果たせていなかったコメの自給達成です。
第2の転換点が1978年、コメ余り問題から田んぼ余り問題への転換です。
第3の転換点が1993年、コメ問題は国際化、貿易自由化の波にさらされます。
第4の転換点は2008年、政治の世界でも自民党大敗、民主党政権となり、その混乱の中で水田フル活用ということになります。
そして第5の転換点は2052年、農地が余る時代の到来です。
農政ということも農家以外はあまり関心も持たれないのか、こういった農政の転換ということも一般には意識されないものかもしれません。
著者は農政学が専門なので、非常に細かい叙述がされています。
門外漢には少し理解しづらいとこともあります。
コメ生産には規模を拡大して機械化を進めコストを下げる必要があると言われます。
しかし現実には田んぼを集めていっても都合よく隣り合う場所が得られるわけではなく、バラバラの地域で行っても移動時間や事務が増えてしまいあまりコスト削減はできません。
大型の機械を使えば150haまではコスト削減になるのですが、このように効率よく田んぼを集めている農家は今のところなく、せいぜい5ha程度でやっているだけです。
しかも現状では田んぼの6割でコメを作れば十分です。
集めたところで残りの4割はどうしようもありません。
世界的な農産物の貿易自由化の問題はウルグアイラウンドとして知られる貿易のルール作りの頃に激化しました。
戦後各国ともに農業を振興した結果、1960年代には先進国の農産物は余るほどになりましたが、1970年代には食料危機が起きます。
そのため、食料が兵器、石油につぐ第3の武器になるということになり、貿易の利害の衝突になりました。
特に激しかったのがヨーロッパとアメリカの対立で、それまではアメリカから農産物を輸入していたヨーロッパが余るようになった農産物を補助金をつけて輸出し始めました。
1986年の時点で、農業産出額に対する国の農業予算の割合はアメリカが35%、フランスが58%、西ドイツは27%でした。
日本はそれから比べると低い22%でした。
コメの輸入自由化に抵抗した日本が悪者のようなイメージですが、それ以上に欧米の補助金政策は上回っていました。
自民党政権から民主党政権へ、そしてまた自民に帰った政治の混乱の中で水田フル活用という政策が採用されましたが、もはや飯米用のコメを作る必要はありません。
しかし田んぼは維持しなければならないという要請があり、何かに使い続けるということが推奨されます。
その結果、飼料用米に高額の補助金をつけるということになりました。
余った田んぼにはすべて補助金を出しているという意識があるのかもしれませんが、実際には全く補助金がない田んぼが35%、飼料用米以外の作物を作って低い補助金をもらっているのが56%、そして飼料用米を作って高い補助金をもらっているのが9%です。
飼料用米作りには1haあたり55万円から105万円もの補助金が出ています。
将来どうなるか、人口減も加味するとコメ作り用に必要な農地も減っていきます。
さらに余る田んぼということになるのでしょう。
農業観、農地観、国土観というものを見直す必要があるということです。
なお、冒頭に書かれているように「コメはとてもひ弱な外来生物であり、3000年以上の歳月をかけてもまだ土着していない」という観念も大切なものでしょう。
それはコメと共に外来してきた人々(弥生人?)の子孫である我々が思うべきことでもあります。