題名は「世界共和国へ」となっていますが、その記述がみられるのは最後の数ページ、それまではその基本となる話が延々と続きます。
その最後の部分が一番の主題なのでしょう。
人類はいま、緊急に解決しなければならない課題に直面しています。
1,戦争
2,環境破壊
3,経済的格差
これらは一国単位では考えることができない問題です。
実際、そのためにグローバルな非国家組織やネットワークが数多く作り出されていますが、それが有効に機能しないのは結局は諸国家の妨害にあうからです。
まず、各国が軍事的主権を国際連合に譲渡し、それによって国際連合を強化・再編成する。
諸国家を「上から」封じ込めることによって新たなるグローバルアソシエーションを実現させる。
というのがその要旨でした。
それに至るまで、副題にもあるように「資本=ネーション=国家」というものについて、古代文明の初めから現代まで、そして世界中のあらゆるところのことについて、詳しく論証を重ねていきます。
また、このような世界共和国というものを考察した重要な人物としての、カント、プルードン、そしてマルクスの主張についても詳述しています。
名前は有名ですがそれとは認識していなかったのですが、世界共和国といったものを最初に考えたのがカントだったそうです。
カントは「神の国」を実現するべきだとしていました。
実はその「神の国」が、キリスト教の神が支配するという意味ではなく「世界共和国」だというのが著者の見解です。
プルードンはあまり有名とは言えませんが、マルクスとほぼ同時代の社会主義者と見られている人ですが、マルクスと対立はしたもののその主張はかなり重なるところがあったようです。
マルクスはその主義主張が歪められて採用されて社会主義国が作られたため誤解されていますが、実際には国家社会主義というものは否定しており、周囲からの反革命の圧力を避けるために一時的に国家という形をとってもやがては国家を解体するべきだと考えていたそうです。
本書の最初から壮大な構想で書かれているため、とても要約などはできませんので、またも印象的な部分を記録するのみとします。
ノーム・チョムスキーは国家の形態は4つだとしました。
国家社会主義、福祉国家資本主義、リベラリズム、そしてリバタリアン社会主義です。
前の3つはそのモデルが存在しますが、最後のリバタリアン社会主義のみは実現していません。
そしてチョムスキーはそれこそが最も好ましい形態だとしています。
前3者はそれぞれ、資本、ネーション、国家のどれかに従属しているのに対し、リバタリアン社会主義のみはそれらから離脱しようとしています。
これを実現に向けるためには資本=ネーション=国家を超えて、その先を見る想像力が必要ですが、それが衰退しているということです。
そして、そのリバタリアン社会主義、言い方を変えればアソシエ―ショニズムこそが世界共和国実現のために必要な考え方だということです。
国家の本質とはなにか。
これは絶対王権の時代には分かりやすいものでした。
国王が国家であり、それを中心に国家体制が作られました。
しかし、国王を倒し共和制となって以来、それが見失われがちになったようです。
資本制企業というものを考えればその類似性が見えてきます。
株式会社というものは現在では資本と経営が分離されています。
労働者だけでなく経営者というものもたいていは雇われています。
しかし会社の存亡の危機になれば分かるように、会社というものは資本家(株主)のものであるということが原則です。
国家というものも、そういった危機になれば誰のものかが分かります。
戦争状態というものが国家最大の危機ですが、そこで権力が集中するのが軍部と官僚機構です。
つまり、現代の国家というのは官僚と軍のものだということです。
国民の代弁者である議会が最高権力などと言うことが言われますが、そんなものは建前に過ぎないというのが真実です。
非常に深く示唆に富む話が続いていました。
しかし、結局のところ「世界共和国樹立」などはまったく不可能だということなのでしょう。