爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ポスト資本主義」広井良典著

あとがきで著者が書いているように「ポスト資本主義という本書のタイトルから、(特に一定以上の上の世代の人の中には)”資本主義の打倒”という意味での”革命”的な内容の本と想像するかもしれないがそれは正しくない」そうです。

 

そうではなく、著者の専門である科学哲学という分野からみて、ここ数百年続いた「限りない拡大・成長」の時代から、「定常化」へ変わっていくということであり、それは「静かな革命」となり、人々の意識や行動様式が変わっていくということです。

ただし、「静か」とは言ってもその過程でかなりの葛藤や対立、衝突も生じうるものであり、真にラディカル(根底的)な変化となるであろうということです。

 

そのため、「ポスト資本主義」と言いながら本書では「貨幣」や「組織」といった経済学の分野から見れば当然触れるべき内容については十分に論じられなかったのは、著者自らが「力不足」であったとしています。

そのためか、本書はかなり哲学的な内容が優先しているようです。

とは言え、ポスト資本主義というのは経済の話ではないということであれば、それも当然なのかもしれません。

 

 

最初に述べられている、人類の歴史を超長期に考えた場合の成長というものの説明は、何となくは考えていたものの、歴然と示されると驚きのものです。

世界全体のGDPの推移を、世界人口の推移から類推してみるとある程度の知見が得られます。

急激に拡大したのは、約1万年前の農耕開始以降が第2回、そしてここ300年内の産業革命以来の時期が第3回であり、最初の人類登場を第1回とするとその3回が拡大・成長期と見なせます。

そして、その間の期間は「長い定常期」だったということです。

さらに、現在はこの拡大成長期をさらに続けて破綻するか、それとも定常期への移行が起きるのかの分水嶺に立っているということです。

 

このような拡大成長期をもたらしたものは、エネルギーの獲得であり、第2回目は農耕による農産物の大量生産、そして3回目は化石燃料の使用でした。

そしてそれにつながる定常期への移行の理由は農耕による農産物生産の限界、そして現在の化石燃料使用の限界なのでしょう。

 

第2回目の定常期移行の時には世界中で同時多発的に「宗教の発生」が起きました。

今回の定常期移行に際しても、そのような精神世界の発展が起きるかもしれないということです。

 

なお、第4回の拡大・成長はありうるかということは現時点では不明ですが、著者の考えるところでは「人工光合成」「宇宙開発ないしは地球脱出」「ポスト・ヒューマン」がその候補ということです。

 

資本主義というものを「市場経済」と同一視する考えもありますが、実際は次のように表されます。

資本主義=市場経済+(限りない)拡大・成長を志向するシステム

パイの総量の拡大・成長というものが続かない限り資本主義は終わることが運命づけられています。

 

経済成長ということも、実はまともに扱われるようになったのは古いことでは無く、ケインズ政策が取られるようになった第二次大戦後の世界でのことだったようです。

歴史家のジョン・マクニールが述べているように、アメリカで景気循環の抑制や大量失業の回避と言った長年の優先事項に代えて、経済成長というものが経済政策の最優先事項となったのは比較的最近のことである。ということです。

GNP(ないしはGDP)という概念が整備されたのも、世界大恐慌の後に経済学者のクズネッツに依頼し、経済成長に関する指標を開発したことに発するものです。

 

資本主義というものの展開も次のようにまとめられます。

1,16世紀前後のイタリア都市国家における海洋貿易の発展(市場化)

2,イギリスで16世紀後半以降の産業革命をへて本格化する、工業化・産業化(産業社会前期)

3,20世紀後半のケインズ政策と高度大衆消費社会(産業社会後期)

4,1980年代以降のアメリカ主導の金融自由化、グローバル化

しかし、そのような資本主義の拡大は「自然」という有限の領域により制限されます。

どこかでそのような自然やコミュニティという基盤への回帰が行われるでしょうし、それが迫っているということでしょう。

 

資本主義が徐々に社会化してきたと言う観点も大切です。

最初は労働者福祉や環境対策などは完全に無視して利益獲得だけだった資本主義は徐々にそれらを重視せざるを得なくなり、社会的セーフティネットを進化されてきました。

いわば、資本主義に社会主義的な要素を導入してきたとも言えます。

ただし、このような社会主義的なものすなわち社会保障制度は資本主義国家といっても国によって大差があり、ほとんど無いも同然のアメリカ、そして日本もそれに近いのに対し、福祉国家と言われる北欧諸国など、その内容は様々です。

 

社会保障の実情を見ると、「人生前半の社会保障」が日本では非常に貧弱であることが特徴的です。

公的教育支出の割合を見ると日本はGDP比3.6%で、OECD加盟国で最低で1位のデンマーク(7.5%)の半分以下しかありません。

特に日本の教育費負担では、小学校入学前の就学前教育と大学などの高等教育での私費負担の割合が非常に高く、55%とOECD加盟国平均の19%を大きく上回っています。

日本は社会保障費が諸国と比べてもかなり小さいのですが、その中で高齢者関係支出(年金)のみが非常に大きいのが特徴的です。

これは日本以外にもギリシャやイタリアなどの南欧諸国で顕著となっています。

ただし、日本は年金が高いといっても非常に高額年金を受給している人と、非常に少ない人が両方居るという、両極端の状況となっています。

これは国民年金ないし基礎年金が満額で月額6万5千円程度であり、それだけ(あるいはそれ以下)しか受給していない人がかなりの数になるのに対し、厚生年金の上乗せが非常に多いという人も居るということが原因となっています。

デンマークの場合は、日本とは違い基礎年金が中心で財源はすべて税金。それに上乗せされる報酬比例部分は極めて限定的です。

そのため、低所得者への保障はしっかり為されているのに、年金全体の給付規模は日本より小さいという状況になっています。

 

さて、限界の近づいた資本主義からどういった社会に変化していくのでしょうか。

著者が挙げているものは「ローカライゼーションまたは地域への着陸」「コミュニティ経済」「緑の福祉社会」「持続可能な福祉社会」といった言葉です。

 

また、今の資本主義が目前のことしか見ていない、すなわち「長時間」という観点を失っていることが様々な軋轢を生んでいますが、それを変えることも必要です。

これは、介護や農業といった、長時間の継続が必要な分野に対して短期間で利益を求めるような「市場」の要求を押し付けることで、農業従事者や介護従事者に十分な収入を保証することができず、離職者が絶えないという問題となって表れています。

これは「市場の失敗」というしかなく、市場にしてはいけない分野だということです。

 

非常に哲学的な内容が連続して現れ、話題が次から次へと飛ぶようで理解がどこまでできたか、我ながら怪しい読後感でしたが、内容はかなり深いものを含んでいると感じました。

また、元気のある時に再挑戦したいものです。