爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

大相撲を見ながら

年寄りの楽しみ、大相撲の九州場所が2年ぶりに福岡開催ということで、毎日見ています。

私のこれまでの経験でも福岡というところは美しい女性の多いところで、大相撲中継の客席にも皆マスクはつけているものの、目元と鼻筋だけでも美人と分かる人が多数映っていて、それも楽しいものです。

 

とはいえ、土俵上の取り組みではまたしても危険な状況が発生し、力士が怪我をしたのかもと思わせる事態となっています。

 

大関貴景勝は9日目の豊昇龍戦で勝ちはしたものの最後に土俵の下に落下、足を打ったようで痛みを感じていました。

10日目の関脇明生戦では動きに精彩なくこれまでの全勝を守れずに初めて敗戦となってしまいました。

 

解説者は「本人は痛くても何も口にはしないから」などと能天気なことを言っていますが、力士というものが看板でありもっとも重要な存在であるのが大相撲だという認識がまだ全くないようです。

 

大関正代ももっとも勢いのあった時に土俵からの転落で足を痛め、その後はすっかり力を失い低迷しています。

これも本人の相撲の取り方や稽古の方法などに転嫁されて批判を浴びせています。

 

看板力士とも言える人々に次々と怪我をさせているのが「異常なほどの土俵の高さ」であるということを感じていないのでしょうか。

 

体操などの他のスポーツの選手たちにとっては何でもない程度の高さでしょうが、あの異様なほどの体重となった力士たちにとってはあの高さからあの体重で落下するのは恐ろしいほどの衝撃となるでしょう。

 

「もしも土俵が平面であれば」怪我をすることもなかった力士たちが大勢居てさらなる活躍ができていたかもしれません。

せめて土俵の高さが今の半分ほどであれば、かなり危険性も減らせるのですが。