爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

原付の思い出

ここで「〇〇の思い出」なんていう題で昔の話を書くのは、たいていネタに困った時なのですが、今はトランプネタが次々と出ているのに何で?

まああまりにもあり過ぎて、しかもちょっと付き合いきれない感じもあり、口直しです。

 

「原付」の思い出。

原付バイク、50㏄以下のエンジンで二輪免許でなく普通免許でも乗れるというものです。

大学卒業まではそのようなものに乗るなどということは考えもしなかったのですが、就職し熊本の片田舎に赴任して来てみると、自転車だけではちょっと出かけにくいところであり、まだ車を買うほどではなかったので、普通免許でも乗れる原付バイクを買うこととしました。

1979年頃かと思います。25歳くらいだったか。

買ったのはホンダの「ゴリラ」、ホンダ、モンキーの兄弟車種で、ガソリンタンクが大きいのが特徴でした。

変速機はマニュアル(手動じゃなくて足動?)で、踏み込んでロー、そこから爪先で上げていくというもので、最初は戸惑ったけれど慣れれば面白いものでした。

住んでいたのは会社のすぐ横の独身寮だったので通勤の必要もなく、あくまでもレジャー用でした。

 

休みの時に近郊に出かけたものですが、記憶にある場所がいくつかあります。

とにかく遠いところまで行こうと、国道3号線をとにかく南下。

赤松峠を越えさらに佐敷トンネルも通りすぎ、湯浦(現芦北町)まで行ったところで疲れが出て引き返しました。

現在は南九州自動車道ができて旧3号線は通る車も少なくなりましたが、当時は交通量も多く、特に大型トラックが横を追い越すとかなりの圧迫感で、疲れも溜まりました。

 

一度は山奥まで行ってみようと、球磨川沿いに進み途中から橋を渡ってとにかく高いところへ。

おそらく現在の八代市坂本町鮎帰を通り過ぎ、さらに山奥に入りました。

地図では道が続いているように見えましたが、途中からは落石や倒木で進みづらくなりました。

今思うと九州自動車道が通っているあたりです。

 

そうこうしている間に1983年に結婚し、会社から4㎞ほど離れたアパートを借りました。

もしかしたら家内も乗ることもあるかと思い、ゴリラでは女性は乗りにくいだろうとスクータータイプのスズキ「ラブ」に買い換えました。

それで雨天以外は家内が車、私がスクータで通勤することとしました。

しかしその生活もわずか1年余りで私が転勤となり神奈川県に引っ越し、スクータもそこの社宅の脇に置かれたままほとんど乗ることもなくなりました。

 

しかし3年ほどして群馬県に派遣されることとなり、前橋のアパートに引っ越ししました。

勤務先の研究所はそこから5㎞ほど赤城山を登ったところで、自転車というわけにもいかず車かスクータでの通勤となりました。

家内も買い物などもあるため、できるだけスクータでと思いましたが、雨天や冬期はやはり無理でした。

それ以外はスクータだったのですが、結構きつい上り坂で馬力の弱いスクータではかなり苦しかった思い出があります。

それでも通勤途中の眺めはなかなかのもので、赤城、榛名、妙義の山々が見え、夜になると前橋の夜景も美しく見えました。

研究所はさほど管理も厳しくなく、暇な時には散歩もしましたしスクータで近隣を走るなどということもありました。

現在は前橋市になっていますが、当時は富士見村というところで、名前が「富士見」であるならどこかから富士山が見えるはずと思い、あちこち走って探しました。

ちょっと上に上がったところで見えることを発見しました。

しかし考えて見れば赤城をさらに登れば必ず富士山が見えるので、そんなに珍しい事でもなかったようです。

 

派遣期間が終わり、神奈川の研究所に戻るともはや原付に乗る機会もなくなり、その頃に手放してそれ以降は縁が無くなりました。

しかしたまには乗ってみたいとも思います。