爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

正代関の負傷事故を考える。労働災害の視点から。

大相撲の新大関、正代関が土俵から転落したことで足を負傷、休場という事態になってしまいました。

相撲関係者からは、大関としての自覚を持てだの、出る以上は表情を崩すなだの、精神論ばかりが聞こえ、怒りすら感じます。

 

その取り組みは逐一見ていましたが、対戦相手の高安関の厳しい攻めと正代の防戦、反撃と非常に緊迫感のある良い対戦でしたが、土俵際で正代が何とか突き落としで勝ったものの自分も勢い余って激しく土俵下に落下、その衝撃で足を痛めてしまいました。

 

「もしも土俵が平面状であれば」

正代はほとんど負傷する可能性はなかったでしょう。

 

それにしても、土俵から勢いよく落下して負傷したということでは、2017年の横綱昇進直後で将来を期待された稀勢の里が、日馬富士に投げ飛ばされて土俵下まで落ち、その結果胸筋を痛めてしまったことが思い起こされます。

稀勢の里はその後結局全快することなく、休場を繰り返して引退に追い込まれました。

mainichi.jp

力士の身体そのものが相撲界の宝であるという意識は相撲指導者たちの間にはないのでしょうか。

 

「土俵の高さがあるから良い」といった声はいくら怪我人が出ても変わることがありません。

www.nikkansports.com昨年九州場所でも土俵から落ちた際の怪我で友風と若隆景の二人が負傷したにも関わらず、このようなことを話す人も居ます。

 

ウィキペディアにも土俵の高さが怪我の原因となっているかと言う問題について、親方たちの発言が記されています。

土俵の高さと土俵下の安全性については2019年11月場所終了後の記事でも親方衆の間で意見が分かれる。14代二子山は「条件は昔から変わっていない」「(九州場所の場合)東京より幅が広いから、むしろ着地しやすい」と指摘、15代浅香山は「ケガをしない高さで造られている」「ケガをするのは体の鍛え方や基礎運動が足りないから」と証言した。一方、7代立浪は「高さがない方がケガはしないんじゃない」「ケガのことだけ考えるなら、土俵の外をもっと広くしてもいい」と話し、8代安治川は「土俵の高さがあるから、土俵際をうまくつかえる」と主張した 

「昔から変わっていない」だの、「ケガをするのは鍛え方が足りない」だの、その認識の甘さはひどいものです。

 

これまで何人の力士が「土俵の高さ」ゆえの怪我で苦しみ、ひどい場合は力士生命が絶たれてきたか。

これを振り返ることすらできない相撲界指導層は相撲発展の阻害でしかありません。

 

土俵平面化ということは、さすがに私だけではなく他の方も気づいています。

ameblo.jp

もちろん、これだけで力士の怪我を防ぐことはできませんが、危険な状況は一つ一つ取り除いていかなければ安全は守れません。

 

私はかつて働いていたメーカーの工場で、中間管理職をしていた時に労災事故で部下に負傷を負わせたことがありました。

労災事故を防ぐために、一番まずいのは「本人の自覚」や「集中力」など精神論に陥ることです。

何が起き得るか、すべての状況を拾い上げ設備や装置で解消できる危険性はすべて実施し、その上で人の動きを想定内、想定外まで対応できるよう考慮する必要があります。

そのために、指差し呼称やヒヤリハット運動など様々な安全運動も実施されています。

しかし、「ヒヤリハット」(”ヒヤリとした”経験や”ハット”した経験を拾い上げ、事故の芽を摘む)どころか、実際に多くの怪我人(事故そのものです)を出している「土俵の高さ」すら是正しようとしないのは、考えられない態度と言うべきでしょう。

 

言ったら何ですが、いつまでたっても暴力事件すら防げない相撲協会の問題点は、こういったところに要因が隠れているのでは。