JR九州の豪華クルーズトレイン、「ななつ星in九州」は2013年10月に運行を始めました。
現在では他のJRでも同じような豪華列車を走らせていますが、その先駆けとして強烈な印象をもたらしました。
その「ななつ星」の計画段階から実施まで、ノンフィクション作家の一志さんが、おそらくかなり多くの取材を行って、描き出しています。
当時のJR九州社長唐池恒二とデザイナー水戸岡瑛治が、これまでの日本にはない豪華列車の旅と言うものを作り上げていった過程を、活き活きと語るためにはどれほどのインタビューをしなければならなかったか、名前の出た多くの登場人物それぞれの思いもおそらく汲み上げながら、作り上げていったのでしょう。
唐池がJR九州社長に就任したのは2009年ですが、それ以降、「SL人吉」「あそぼーい」「A列車で行こう」といった観光列車を次々と走らせて話題になっていました。
それらはすべて水戸岡のデザインによるものでしたが、これは1989年に唐池が営業本部在籍中に「ゆふいんの森」の企画を担当した時から変わらないコンビだったそうです。
そして社長となった時から、鉄道を運行させるだけにとどまらず、「九州」全体を活気づけるということを意識するようになります。
そのために、これまでとは格段に豪華・上質のクルーズトレインを投入し、九州と言うものを売り込むツアーを作りたいという計画を立てました。
その当時は2011年の九州新幹線全線開業に全精力を注ぎ込みましたが、新幹線が走り出すとすぐにクルーズトレイン計画に邁進することになります。
企画の中心となるのはやはり水戸岡でした。
水戸岡の最初のプランは全面ガラス張り、丸みを帯びた開放的な近未来型車両であったようです。
しかし、唐池は「懐かしくて新しい豪華列車」というコンセプトにこだわり、水戸岡のプランを否定して現在の様式に向かって作り上げるように促したそうです。
ツアー代金も最初は10万円程度と考えていたのですが、やるなら徹底的に上質をということで、3泊4日のコースで40万円からという、とびぬけた価格を設定しました。
その代わり、それにふさわしい内容を確保するための努力も相当なものとなりました。
車両や設備も細かいところまで最上を目指し、料理などもできる限り最高のレベル、サービスも徹底的に鍛えなおすというものでした。
そのこだわりがあまりにも強すぎたのか、車両や設備の製造段階の厳しさはかなりのものだったようで、スケジュールぎりぎりで関係者はかなり追い込まれたようです。
それでも何とか出来上がり、運行開始となった時のことは印象深いものでした。
本書の記述は運行開始のところまでで終わり、出版は2014年でした。
しかしその後、熊本地震、九州北部豪雨や令和2年7月豪雨などで運行ルートの変更を余儀なくされたり、コロナ禍で運休したりと厳しい情勢になっているようです。
それでも九州全体に元気をもたらすという思いは十分に達成されていると感じます。