ヨハン・セバスチャン・バッハはバロック音楽の最も重要な音楽家であり、日本では「音楽の父」とも呼ばれました。
しかし、音楽の世界がバロック音楽から古典派・ロマン派音楽へと移り変わっていく中で、一時はほとんど忘れ去られた時期もあったのですが、19世紀になりメンデルスゾーンなどにより再評価され、その業績も認められることとなりました。
現代ではかえってその手法が今日的なものと共通であるとして評価が上がっています。
この本では、バッハの音楽だけに止まらず、その一族、生涯、家族、生活など様々な視点からバッハと言うものを見直していきます。
バッハの一族は多くが音楽家として活動していますが、当時の音楽家の境遇はそれほど高くない人も多く、バッハ自身も学校での教育はあまり高くなかったために、その後の人生で数々の苦労もしていたようです。
しかし、その実績と能力、そして強固な意志で次第に重要な職を得ていき、各国の王族などにも認められる地位を築きました。
時代はちょうどバロック音楽が徐々に退潮となり、古典派へと移り変わろうとしていた時期だったのですが、バロック音楽を形作るポリフォニーという様式へのこだわりが非常に強く、それを死守するバッハは次第に時代遅れと評されるようになりました。
バッハの息子たちも多くが音楽家となったのですが、この風潮の中で新たな方向に転じるものもあり、乗り切れない者もあるといった具合で、さほど重要な立場を築くことはできませんでした。
メンデルスゾーンなどがバッハの曲を再発見し大きく演奏を広げていったと言っても、そのスタイルはロマン派音楽の影響が強すぎ、バッハ本来のものとは大きく違ったものでした。
楽器の変遷も大きいもので、チェンバロからピアノへの転換ばかりでなく、フルートやトランペットなどの管楽器でもその機構や演奏法などに大差があるものでした。
そのため、新しい楽器を使った演奏では楽器間のバランスがまったく異なるということも多かったようです。
それに対処するため、古楽器を使った演奏というものも多くなってきました。
フルートやトランペットなどの入った協奏曲では音の大きさから大差があり、全く違った曲のように聞こえるということです。
巻末に礒山さんが選ぶ「バッハを知る20曲」が掲載されています。
私もバッハは少しは聞いていたつもりでしたが、この20曲のほとんどを知らなかったというのはがっかりです。
コラール「主よ、人の望みの喜びよ」で有名なカンタータ第147番も、そのコラールが出てくるのは最後の一瞬だけで他の旋律もたくさんあるということも知りませんでした。
しかし、これらの曲もユーチューブで検索するとすぐ聞くことができるというのは、確かに便利な世の中になったものです。
しかし今「バッハ」で検索するとIOCの会長の方が先に出てしまいます。嫌な世の中になったものです。