爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「成長無くして分配無し」なのか。

選挙戦が始まり、各党各候補者の政見紹介などが新聞紙面の大半を占め、そういうことにあまり興味も出ない私としては新聞を読む時間が減り、他のことができると喜んでおります。

 

とは言え、気になるのが「成長か分配か」ということであり、政権与党や経済界、そして政権擦り寄り野党などでは「成長重視」のようで、「成長無くして分配無し」などということを語っています。

 

しかし、これまでずっと「成長」したくなくて何もしなかったのか。

そんなはずはないでしょう。

 

言葉は違うかもしれませんが、自民党は常に「景気対策」ばかりを言っていました。

これが延々と上手く行かずに低迷し続けていました。

 

今ようやく、その原因は「分配軽視」のために国民の購買力自体が失われ、そのために内需がほとんどの日本経済は浮揚するわけもないということが気づかれてきたということでしょう。

私はずっとそう思っていましたが。

 

つまり「成長無くして分配無し」というのは、これまでの自民党政治の失敗そのものであるわけです。

 

それを変えなければどうしようもないということに気づかず、「まだ成長重視が不足」と言うのはあまりにも愚かです。

 

これまでも自民党政治はつねに「まだ足らない」と言い続けていたようなものです。

その方向性自体が誤りだという反省は全く無く、もっと注ぎ込めとしかしていませんでした。

いい加減に、自分たちの存在自体が間違いだということに気付くべきでしょう。

 

それとともに、有権者も目を覚ませと言わなければなりません。

こんな愚かな自民政治を支え続けたのは絶対多数とは言えないものの比較的多数の有権者でした。

それでどうなったのか、考えてみるが良い。

わずかな米価吊り上げや農地整備と引き換えに農業や地方は徹底的に衰退させられました。

それと同じことが現在でもあらゆる方面で行われ、見かけの良さで票を集めて実は何の効果もなく、逆に基盤を根底から崩されるようなことが続いています。

もちろん、現在の野党勢力も危ういだけの存在ですが、それに政権を取らせることは、政治家や国民の目を覚まさせるだけの効果はあるでしょう。