爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

音楽の到着点

音楽について書くといっても私はそれほど音楽に詳しいわけではありません。

コーラスを楽しんでいるとはいえ、専門的な知識があるわけでもなく、多くの分野の楽曲を聞いてきたわけでもありません。

まあそういった中途半端な知識のまま、何となく感じている現状の音楽について書いていこうという、身の程知らずの文章となるでしょう。

 

このところ、流行歌の新曲というものがどれを聞いても同じに聞こえるようになっています。

あきらかに老化現象なのでしょうが、しかしそれだけでしょうか。

新曲の方に実際にその傾向が強く存在するのではないでしょうか。

 

ときどき「盗作騒動」が起きますが、メロディーも歌詞もそのバラエティーには限りがある以上、恣意的なものか偶然かを問わず楽曲というものは似たり寄ったりになってきます。

楽器の発明でまったく新しいものが登場したような場合はそれまでとは異なる音楽が現れるのでしょうが、それもその内には似たようなものの連発になってしまいます。

エレキギターの登場というものは激しい変化を起こしたのでしょうが、それもそれから数十年を経てみれば皆が同じような音楽を奏でることになります。

 

クラシックという分野があり、まだまだ大きな影響力を持ちファンも多いのですが、クラシックには「新曲」というものがありません。

クラシックのような形態、すなわちオーケストラを用いて演奏を行なう新しい音楽、現代音楽といったものもありますが、これはクラシックとは言わないようです。

あくまでも数百年前からの作曲家が作った音楽を解釈を加え微妙な調整をしながら演奏するというものです。

それらの曲も発表当時は新曲であり、それを作った作曲家も新曲を作ることで報酬を得ていたのでしょうが、今となってはそういう作曲家は存在できません。

 

ポピュラー音楽の世界ではあくまでも昔の歌を歌うのは「懐かしのミュージック」であり、現代の音楽家がそれを演奏するのは「カバー」です。

無いことはないが主流とはなり得ません。

やはりオリジナルの楽曲を発表し演奏することが音楽家として不可欠なのですが、それがどんどんと困難になって行っているようです。

 

ここから先は勝手な妄想です。

 

ポピュラー音楽の音楽家たちはこれからも「新曲」を出し続けるでしょう。

しかしそれはどれも以前の曲に似通ったものになります。

「これは盗作だ」といった問題が頻発するでしょう。

しかし徐々にそれも収まり、盗作と言うこと自体問題化されることがなくなっていくことになります。

もはや楽曲というものは似ているのが当然、まったく新たな曲などと言うものはできないというのが共通認識となるでしょう。

もう著作権というものも意味がなくなります。

作曲家、作詞家といった職業も成立しなくなるかもしれません。

それでも演奏家の役割は大きくなります。

今のクラシック音楽家と同じようなものになります。

 

つまり、まあ今のクラシック音楽界のように動きの少ない中で細かいテクニックなどを競うような世界になっていくんでしょうね。

 

以上、勝手な素人の音楽予想でした。