クラシック音楽のコンサートといえば、フルメンバーのオーケストラが交響曲を奏でる場面を想像する人が多いでしょう。
現代の演奏会では「交響曲」がメインとなることが多いようです。
しかし、こういったパターンはずっとこうであったわけではありません。
18世紀末までは、コンサートというものの形も今のものとはかなり異なっていたようです。
そこには、音楽と言うものの聴き方もかなり変化したという理由もあります。
そして音楽を作り出す側、作曲家、演奏家、興行主などの変化も大きいものでした。
19世紀前半のヨーロッパ、そこではそれまでの国王や貴族に代わって市民たちが文化の担い手となりつつありました。
その場でもっとも人気を集めた音楽形態が「オペラ」だったのです。
今でも演奏され続けているものも多いのですが、当時のオペラというものはかなり異質のものでした。
現在でもイタリアの作曲家のオペラが数多く残っていますが、当時でもイタリアがオペラの本場でした。
しかしその演奏形態はきちんとした譜面をそのまま演奏するというものではありませんでした。
作曲家も一応形は作りますが、国際的スターとなっていたオペラ歌手が自由に得意のフレーズを入れ込み、見せ場を作るということが普通に行われていました。
さらに各地での興行の都合によって自由に改変するということも多かったようで、ある町で上演されたものと違う町でのものが全く別物と言うこともありました。
さらに、多くのオペラは「新作」であることが求められました。
つまり、芸術的な価値を高めるというよりは、話題性を追求し、見る側もそれを社交場で話のタネにするために見に行くということを求めていました。
こういった状況は、現在ではミュージカルという分野で多く見られるようです。
このような情勢に改変を迫ったのがドイツを中心に勃興してきた交響曲で、特にベートーベンがそのシンボルでした。
ここにはドイツの民族主義も関わっており、イタリアに代表されるオペラのような「不真面目」なものではなく、生真面目で硬い交響曲に価値を求めるようになっていきます。
バッハの楽曲の再評価と言うこともこの傾向と同じものが作用していたようです。
そこでは何度も同じものを繰り返し聞かなければ理解できないような難しい曲にこそ価値があるという観念も出来上がります。
批評家もそれを是とする価値観を広めました。
その場限りの愉しみのオペラなどはくだらないということです。
新作を求めず、古の名曲を演奏する方に価値を認めることは「故人作曲家」の作品を演奏することを普通にしました。
(これは現在でもクラシック界ではほとんど当てはまります)
この辺の事情には、楽器の演奏技術の進歩とその演奏家の専業化、さらに演奏家たちの収入確保といったものも複雑に絡み合っていきます。
クラシック音楽の世界というものは、なかなか複雑な出来方だったことが分かります。