爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「贋作・盗作 音楽夜話」玉木宏樹著

著者の玉木さんは芸大卒のバイオリン演奏家ですが、その後作曲も手がけ、映画やテレビの挿入曲、CM音楽などの作曲もされており、著作権にからむトラブルにも何度も巻き込まれているそうです。

そんなわけで、音楽界の盗作などについての話、また大作曲家の真実の姿といった話をいろいろと紹介されています。

 

贋作、盗作と言っても、バッハの頃には音楽著作権などという意識はほとんど無く、バッハ自身も人の曲を取り入れたり、自分の曲でも何度も使いまわしたりといったことはよくあったようです。

また、「バッハの曲」と言われている曲でも他の人の作曲であったと言うこともよくありますが、当時はバッハはそれほど有名な作曲家ではなく、「バッハの曲」として贋作されたということは無かったのですが、後の時代になって増えてきました。

モーツアルトも同様で、生前にはほとんど認められることも無かったので、贋作が出だすのは再評価されて以降のことになります。

 

日本人は音楽著作権に対しての意識が低い、などと言われますが、欧米でもその権利が確立したというのはさほど古い話ではなく、20世紀になってからリヒャルト・シュトラウスが精力的に活動してようやく形になってきたものだそうです。

欧米でも著作権料の支払いと言うものが形になったのは、ようやく第2次大戦後だったとか。

 

ラバーズ・コンチェルトという曲の元歌にもなった、バッハの「メヌエットト長調」はバッハの作曲ではなく、クリスティアン・ペツォルトの贋作だと言われます。

しかし、決して「ペツォルトの贋作」ではありません。

当時は、バッハよりもはるかにペツォルトの方が有名だったようで、そんなペツォルトがバッハの名前をかたって曲を書くはずもなかったのです。

事実はまったく逆で、バッハの方がペツォルトに無断で曲を拝借してしまったのだとか。

 

バッハを「音楽の父」と呼びますが、実際のバッハは厳格な音楽教師という評判はあったものの、決して音楽の父と呼ばれるような存在ではなかったようです。

バッハの音楽が再認識されたのは、メンデルスゾーンによって「マタイ受難曲」が発掘されて以来のことでした。

したがって、「音楽の父」と呼ぶべきなのはメンデルスゾーンなのかもしれません。

 

ポップス系の音楽でも盗作と言うことは大きな話題となります。

現在でもネットには「パクリ情報」と言うものが溢れているようです。

しかし、シャンソン、ラテン、タンゴといった音楽ジャンルでは、すべての曲にすぐにそれを分かるような味付け(テイスト)が含まれており、特有のクリシェ(慣用句)と呼ばれるメロディがありました。

このクリシェは誰が使っても良いような風習となっており、いまさら盗作などと騒ぐ人はいませんでした。

典型例として挙げられているのが、ボサノバのカルロス・ジョビンです。

彼の曲はどれを聞いても同じようなもので、すべてが「ジョビン節」です。

日本の演歌も似たようなもので、その旋律がどこか似たようなものがあり、さらに演歌の場合は詩もどれも同様といったものです。

こういったところでは、あまり「盗作騒動」は起きません。

 

しかし、世界的なヒットが生まれれば一気に数億円以上の利益が上げられるとなれば、やはり盗作は問題とされます。

山田耕筰の「赤とんぼ」も、日本語のイントネーションとして全く不自然だということは誰でも気がつくのですが、実はシューマンの協奏曲にそっくりのメロディがあるそうです。

早稲田の校歌「都の西北」もエール大学の学生歌にそっくりだとか。

 

玉木さんは、「純正律音楽研究会」の代表も務めるということで、純正律には詳しい方ですが、そこから「絶対音感」を見ると滑稽なものに見えるようです。

絶対音感というものを祭り上げるような風潮もありますが、平均律の音階などをいくら覚えたとしても純正律には応用できません。

バイオリン演奏家は音というものは連続的に変化させられることをよく知っているために、たまたま現在の440Hzの音がAとなるということを基本とした絶対音感などにはあまり価値を感じないようです。

したがって、バッハもモーツアルトもベートーベンも、絶対に「絶対音感」の持ち主では無かったとしています。

 

音楽のあれこれ、なかなか面白い噂話でした。

 

贋作盗作音楽夜話

贋作盗作音楽夜話