爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「傭兵の二千年史」菊池良生著

傭兵と言って何を思い浮かべるでしょうか。

もっとも華やか?だったのは中世末期から近世にかけての時代でしょうが、現代でも外人部隊と言われるものもあり、またバチカンなどでのスイス人傭兵というのも目にします。

また、最近では民間軍事会社というものが出現し、暗躍しているという話もあります。

 

傭兵は「世界で二番目に古い職業」であると言われています。

世界一古い職業というのは売春ですが、それと同じくらい古くからあるもののようです。

その始まりは古代オリエントの帝国であったようです。

神の意思として戦いを行いたくても、まだ「市民軍」はありませんでした。

その軍隊の主要部分は被征服民からの強制徴用と傭兵からなっていました。

 

しかし、そのような軍隊は人数ばかり多くても統制は取られず強くもありません。

それが古代ギリシャ都市国家の市民軍が人数では少なくても勝つことができた理由でした。

 

ところが、古代ギリシャ古代ローマの市民軍もいずれもその共和制が衰えていくに従い兵士が集まらなくなります。

貴族や富裕者に財が集中し市民が没落すると自発的な軍務参加も放棄されます。

それを補ったのが傭兵でした。

ローマではやがて傭兵もゲルマン人などが主となり、彼らが兵役の後にローマ市民権を獲得しさらに軍人皇帝にまでのし上がるようになっていきます。

 

その後、中世に入ったヨーロッパでは騎士たちと王との封建制が始まります。

それで傭兵制は終わったかと言うとそうではありません。

騎士たちは、封建正規軍である一方、アルバイトとして他の諸侯に金で雇われるということまりました。

実際は傭兵は続いていたのです。

 

このような傭兵となった騎士たちは徒党を組み強盗や略奪を繰り返す、強盗騎士団となりました。

12世紀のブラバンド団、アラゴン団、バスク団、ナヴァラ団などは各地を荒らしまわるとともに、諸侯に雇われての戦争も行っていました。

 

こういった強盗騎士団を上手く使ったのが十字軍でした。

神の名のもとに堂々と略奪が行えるということで多くの騎士団が参加しました。

しかし、13世紀に十字軍が終了すると彼らは行き場を失う所でした。

その行き先がルネサンスにはいったイタリアでした。

 

ミラノ、ヴェネツィアフィレンツェローマ教皇シチリアナポリの5大勢力が争い、さらに小勢力がその間隙を縫って争うという戦国時代でした。

そこでは多くの国が傭兵を競って雇い、傭兵隊長は国の権力を左右するまでになりました。

しかし傭兵たちが戦を主導すると、真剣に戦うのではなく八百長もあり、適当に形だけ作るような戦争が頻発しました。

 

それを一変させたのがスイスの傭兵部隊の長槍戦法でした。

各国の出身者がバラバラに集まっていたそれまでの傭兵部隊とは違い、同郷の出身者が集まり密集隊形で長槍を操るスイス傭兵部隊は一気に戦法を変化させました。

その後、スイスは各国へ傭兵を派遣することが唯一の産業のようになり、それを取り仕切るスイス誓約同盟なるものが作られました。

最大の得意先はフランスで、300年間に50万人以上のスイス兵がフランスのために命を落としたと言われています。

 

それに影響され、南ドイツ出身の傭兵部隊、ランツクネヒトも活躍します。

15世紀には各国にランツクネヒトが雇われるようになっていきます。

スイス傭兵部隊はスイスの国家管理でしたが、ランツクネヒトはそれを管理するものは無く自由というのが売り物でした。

 

しかし、オランダがスペインから独立し世界でも覇権を得るようになるとランツクネヒトも没落します。

オランダはカルヴァン派プロテスタントでしたが、その厳しい道徳律を兵制にも適用し、厳しい規律で統制の取れた軍隊を作りました。

それには豊かな財源を用いて高い給料を払い続けるという、常備軍化も進めました。

しかし他の国では傭兵制が継続し、ドイツの30年戦争からフランスのルイ14世の戦争に至るまで主役は傭兵たちでした。

 

絶対王政下では傭兵たちの地位も低下し、進んで志願する者も減ったために「傭兵狩」ということも行われました。

村などを襲い若者を拉致し、無理やり兵士にしてしまうというもので、このため兵士の脱走を防ぐということが部隊の主要な役目となります。

18世紀当時最強と言われたプロイセン軍は、奇妙なところがありました。

夜襲は行わない、行軍中の宿営地は森の近くを避け野原の真ん中、森を進軍する時は歩兵の列を軽騎兵で挟む、斥候を派遣することはしない、戦勝後の落ち武者狩りは行わない。

すべて、兵士の逃亡につながらないように警戒したためでした。

 

主要な兵士が傭兵部隊であるという時代は、フランス革命と共に終わることになります。

革命とともにそれまで王によって雇われていた傭兵部隊は解雇されました。

そして革命阻止のために各国から送られた同盟軍に対し「祖国を守る」を合言葉に集まった市民軍が戦いました。

その後、各国にも市民軍が徐々に広まり傭兵は主要な兵士ではなくなっていきます。

 

しかし完全には消えませんでした。

市民軍をはじめに創設したフランスで、はやくも1831年には外人部隊と言う傭兵部隊が作られました。

これがその後、王政、共和制、帝政、共和制と政治体制が変わっても続いていき、現在まで生き残っています。

 

自分の命を懸けて稼がなければならなかった傭兵たちが歴史を支えてきたのかもしれません。

なお、本書はヨーロッパ史が専門の著者が書いているため、日本やアジアの情勢についてはほとんど触れていませんが、日本でも戦国時代末期は傭兵と見られる人々がかなり存在したようです。

しかしそれも江戸幕府誕生とともに完全に消えてしまいました。