今まさに世界を揺るがすような戦争が行われており、戦争を考えたいという思いは誰も持っているものかもしれません。
この本は戦争というものの歴史を人類文明の初期から現代まで振り返っています。
ただし、「戦争を止める・防ぐためにはどうすれば良いか」ということを考えるためにはあまり使えそうもありません。
というのも、著者のナイバーグさんは軍事史が専門の歴史学者であり、戦争というものが人類の歴史と切り離せないものだということを事実として書いているからです。
しかしだからと言って反戦を進めるために何の足しにもならないかというとそうではなく、戦争の実態、軍事技術、軍事システム、社会自体の構造、それを支える人々などについて詳述されており,、これらを基礎知識として持つことはそのためにも不可欠と考えられます。
本書は時代ごとに区分され、古典時代、ポスト古典時代、火器の出現、ナショナリズムと産業主義、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦とその後と分けられて論じられていますが、その書き方は統一されており離れた時代でも比較しやすく書かれています。
昔々の戦争と中世の戦争、現代の戦争とはどこが違ってどこが似ているのか、そういった考え方もできるようになっています。
各章の構造はまずその時代の戦争の概観が語られ、その後に「兵士」「武器」、さらに「戦闘」「遺産」と続けられます。
もちろん主要な武器も時代を追うごとに大きく変化していきますが、それも各時代それぞれで深い意味があるということも比較してみていけば分かりやすいものでしょう。
しかしこれまで私自身漠然と感じていたことがこの本の中でははっきりと語られ、納得したものも多くありました。
古典の時代の戦争はほとんどが歩兵だったそうです。
まだ馬などの動物を安定して使うことができませんでした。
それが家畜の使用技術が向上し騎兵を主とする時代に移り変わっていきます。
のろのろと歩く歩兵部隊を蹴散らす騎兵隊という有様が見られます。
産業革命以降は工業的に兵器を製作する技術がどんどんと進み(進歩とは言えないかも)その結果殺傷能力も格段に増加、戦死者も桁違いとなります。
第一次世界大戦の死者の数は当時はとんでもないものと捉えられましたが、そのわずか後の第二次世界大戦ではそれとは比べ物にならないほど多数の死者が出ました。
民間人の死者が格段に増加したのも第一次世界大戦以降だったそうです。
疑問に思っていたことが氷解したこともいくつかありました。
重装歩兵が主力となっていたのが古代ギリシャの軍隊でしたが、あまりにも重すぎる装備で動きも鈍重となるため高スピードで撹乱すれば簡単に倒せるのではないかと思っていたのですが、実は彼らはファランクスという8人から16人の密集隊形を守りその単位で動いていくために当時の槍や弓といった兵器では傷つけることができなかったそうです。
これを最終的に壊滅させたのがアレキサンダー大王で騎兵や軽装騎兵を駆使して重装歩兵の軍隊を破ったそうです。
古代ギリシャでも軍船が高度に発達し、その三段櫂船という主力軍艦は170人の漕ぎ手により10ノットの速度で相手の軍艦に激突して真っ二つに切り裂いて沈めたそうです。
ただし、その頃はまだ航海術が発達しておらず、また真水を搭載できなかったために陸地から離れて航海することはできなかったとか。
兵器や装備、軍隊のシステムなどが大きく異なる軍隊同士が戦う場合に圧倒的な結果となったことが時々ありましたが、14世紀に英仏の百年戦争の中でクレシ―の戦いとポワティエの戦いでそのような事態となりました。
フランス軍はまだ中世以来の重い鎧兜で馬に乗った騎士を中心とした軍隊だったのに対し、イギリス軍は歩兵の長弓部隊で当たりました。
フランス人は長弓と言うものを知らなかったため、圧倒的な結果となり惨敗してしまいました。
銃と言う火器の出現は戦争の形を変えただけでなく、社会の構造も変えていきました。
馬や高価な武具を必要とするそれ以前の騎士中心の社会ではそれを担える貴族が戦争でも重要な役割を果たしたのですが、銃を持てば庶民でも強力な兵士となることができるようになりました。
この本ではそこでその動きを阻止しようとした社会勢力として、ヨーロッパの騎士、イスラムのマムルーク、そして日本の武士があったと記しています。
そしてそれに成功したのが日本だけだったとも。
ちょうどうまい具合に国内の統一に成功したためにそれ以上に火器の採用をする必要がなくなり、武士の権力を保つことができたという解釈でした。
サムライたちが「自ら銃を捨てた」という考え方は日本人ではなかなか思いつくものではないと感じます。
第二次大戦時にソ連に侵攻しようとしたドイツは「バルバロッサ管轄令」を発し、ドイツ軍人が国際法や国際的な道義のすべてと関係を絶つことを定めました。
ドイツ兵がソ連でどのような戦争犯罪を犯しても刑罰を免除するとしたのです。
ここにも戦争の狂気が現れています。
ただし、これを本当に批判できる国があったでしょうか。
アメリカは広島と長崎で原爆を爆発させましたが、それで死んだ数十万人の人の大部分は民間人でした。
本書の原著出版は2001年、アメリカで同時多発テロが起きた年です。
もちろんそのテロだけでなく、その後のイラク戦争をはじめ多くの戦争には触れていませんが、もし現在この続編を書くとしてもそこには未来の希望はあまり描かれないということは分かります。
人類と言うものの存在自体が戦争と不可分であるということ、それは間違いないことなのでしょう。