風力発電や太陽光発電は環境中に設置する必要があるために、土木工事の必要性も大きいものですが、どうやらそのエネルギー投入についてきちんとした考慮が足りないのではないかという疑問を抱きました。
それが、今広く流通している「EPR」(エネルギー産生比)の異常な高さにもつながり、実際はとてもエネルギーを生み出すとも言えないものの将来性が高いかのような幻想を抱かせているという推測ができるということを論じてきました。
しかし、これはそのような机上の計算だけに留まる話ではなく、その技術の存立自体にも響くような大変な弱点になるのではと思い当たりました。
風力発電も、最近では「海上」やら「沿岸」といったおかしな方向に行こうとしていますが、これまではほとんどが陸上、それも山の稜線といったところに設置される例が多いようです。
太陽光発電も平地では適地が少ないためか、そのような山合に広く展開されているという話も聞きます。
こういった場所に設置するためには、その場の整地や取り付け道路の設置等、かなり大量の土木工事や建設工事が必要でしょう。
そこには多数のトラクターやパワーシャベル、輸送用大型トラックなど、重機や大型自動車が使われているはずです。
これらの機械の投入エネルギーが正当に評価されていないのがEPRの過小評価の原因ではないかという疑問は前回出していますが、それ以上に問題となるのが、「電動」になった場合どうなるかです。
現状では間違いなくほぼすべてが重油やガソリンを燃料として動かされているはずです。
これらの機械がもしもすべて「電動」になったらどうなるのか。
その効率は内燃機関と比較してかなり低下するのは間違いないでしょう。
すると、同じ工程の作業をするのに投入すべきエネルギーがかなり増加してしまうことになります。
そもそも、そこで建設している風力発電装置などのEPRを計算するための、「入力エネルギー」には建設に要するエネルギーも加算されていなければなりません。
その建設エネルギーが機械の低効率ゆえに増加することになれば、建設している発電装置の存立も疑われることになります。
そして何より、そんな「電動重機」が本当に可能なのか。
蓄電池の容量も普通の乗用車とは比べ物にならないほど大きなものが必要でしょう。
そんなものを載せた車体の重量はどれほどになるのか。
それほど稼働範囲が広くないとして、蓄電池を使わずコードで電力供給するというタイプのものも考慮されるかもしれません。
しかし、それでもモーターの性能がエンジンと比べてどうか、電源供給の可能性、さらに電力を使用するということでの途中でのエネルギー損失など、問題点は山積みのようです。
こういう場面では「水素」を使うというアイディアもありそうです。
しかし、これも水素を作り出すための装置での損失、さらに水素を作り出す元となるエネルギーまで考えれば、トータルでの効率は非常に低いものになるでしょう。
結局、現在の風力発電や太陽光発電は、建設のための化石燃料駆動の重機があってこそ成り立っている(かどうかも怪しいが)ものだということでしょう。
「脱炭素社会」でも、こういったところだけは油を使う?
そうでもしなければほとんど成り立たないということでしょう。
ただし、化石燃料を使わないという理由があの本当かどうかも分からない二酸化炭素温暖化ということになっていますので、どうしてもやむを得ない(?)重機の燃料と言う理屈を付ければ使えるということにしてしまうのであれば、無理やりでも成立させることはできるわけです。
そうなれば、非常に奇妙な状態が現れることになります。
脱炭素といいながら、それを建設する現場では重油などを使い放題のトラクターが走り回る。
それを見ても何の疑問を感じないような感性の人間だけが幅を利かすのでしょう。