脱炭素化などという掛け声ばかりが響いていますが、それに応えて出てくるものが変なものばかりです。
これは絶対に「EPR(エネルギー産出比)」というものを考えてもいないということが明らかなのですが、その道の専門家らしき人々が出している数字を見てもおかしなものばかりですから、結局はその評価法自体がきちんとできていないのではないかという見解を以前に示しました。
そしてその中で、現在はほとんど石油駆動しかありえない大型重機、大型トラックなどの使用エネルギーを考えることが大問題ということも提起しました。
もしも、それを電動の機材、つまり「そのエネルギー製造装置で得られる電気エネルギーで駆動できる機材」のみでそのすべてを賄って行けばかなり低効率となるためEPRも相当落ちるのではという見通しも述べました。
しかし、ここのところがどうも論理的でないような気がしていましたので、さらに考えてみた結果です。
エネルギー生成装置のEPRを考えるにあたっては、「すべての工程をそのエネルギー装置由来のエネルギーで賄うものとして考えるのが妥当ではないか」ということです。
もちろん、太陽光発電設備製造のどの工程を取ってみても現状で太陽光発電による電力で操業しているものはほとんど無いでしょう。
そのような状況で、EPRが高いなどと言っても意味がないということです。
それはあくまでも「石油があってこその太陽光発電」となりかねないからです。
簡単に想像できるように、特に現在石油燃料で駆動されている内燃機関などによる重機やトラックなどは電動にした場合は相当エネルギー効率は低下します。
しかし、例えば太陽光発電装置のEPR(エネルギー産出比)を考える場合には、形式的ではあってもすべてを電動装置で動かすことを前提として計算すべきではないか。
「太陽光発電装置の製造」というのは、太陽光変換パネルを製造する工場だけの話ではありません。
その原料となるシリコンや鉄鉱石、銅鉱石、ガラス原料などを採掘し、運搬し、精製し、原材料としてから組み立てし、さらに現場に設置し、維持管理し、廃棄するまでのすべての工程を含みます。
現実にはこのような採掘現場、運輸、製鉄所、その他の現場で電動化されていることはあり得ませんが、これを考えなければ「自立したテクノロジー」とは言えないはずであり、結局は「石油無しでは役に立たない」ものだということを証明するだけです。
先行する記事では、ここまですっきりとした結論が無かったため、「EPR計算は場合によって大きく数値が異なるのでは」といった横道に入り込んでしまいました。
しかし、この原則を守って計算するようになれば、はっきりとしたテクノロジー評価ができるものと思います。