新聞やテレビ、そしてインターネットなどのメディアというものが急激に変わっています。
それは日常生活を大きく変化させ、そのことで人間自体も変わってしまうのかもしれません。
情報学を専門としコミュニケーション論を専攻している著者の橋元さんが、メディアの歴史からその変化などについて論じています。
江戸時代からすでにかなり高い識字率であった日本では、明治維新以降急激に新聞などの発行が相次ぎました。
最初の頃は政府批判を主とした「政論新聞」が主だったのですが、やがて政論よりも報道を中心とする新聞が広まり、さらに全国紙というものが普及していったことは欧米にもあまり見られない特徴でした。
こういった新聞の普及は太平洋戦争の後にも続いており、テレビ、ラジオなどの他メディアの普及でも発行部数が減ることは無かったのですが、1999年をピークに落ち続けているのはインターネットの普及のためでした。
ラジオも世界で最初の商業的ラジオ局がアメリカピッツバーグで開業した1920年から遅れることわずか5年で、日本放送協会が本放送を開始しました。
しばらくは民間局はなかったのですが、戦後になって相次いで民間のラジオ局が開設されました。
しかし、ラジオの黄金時代は戦後10年くらいまででありその後テレビが普及すると急速にラジオの聴取時間は減少していきます。
電話はグラハム・ベルが1876年に発明しましたが、翌1877年には日本に2台が輸入され官庁間の連絡に使われました。
しかし、一般への普及はなかなか進まず、1937年で人口1000人あたり17台にすぎず欧米に比べてかなり低いものでした。
一般への広がりが加速したのは1960年代後半以降になってからでした。
1990年台以降は携帯電話の登場で大きく状況は変わっていきます。
テレビの普及はラジオと比べてもはるかに大きな衝撃を人間にもたらしました。
一時期は同じテレビ番組を社会のほとんどの人が見ているということになり、日常会話もテレビ番組のことを取り上げることも増え日本人の情報環境の均質化を促進しました。
家庭内でも居間の一角に置かれたテレビを皆で見るという日常生活が普通となったのですが、実はこのような「一家団欒」というものはテレビが出現して初めて現れたものだったのです。
インターネットの商用ネットが出現したのはアメリカで1988年、日本で1993年でした。
その後爆発的に普及することとなります。
その影響はこれまでのメディアによるものをはるかに越えるものであり、文字の発明以降最大級の社会的影響を与えるものかもしれません。
メディアの悪影響ということが言われることもしばしばです。
暴力的なテレビ番組を見ると犯罪を起こしやすくなるとか、テレビが子供の発達を阻害するとか言われています。
それに関する研究も続けれられており、様々な結果が出ていますがはっきりとはしていないようです。
インターネットもそれを一人で操作する時間が長くなるために孤独を招くと言われています。
ネットはそもそもコミュニケーションを活性化するはずなのに、精神的にも孤独感が増していくのはおかしいとして「インターネット・パラドクス」と名付けたのがカーネギーメロン大学のクラウトらでした。
しかしその大がかりな調査も複数回実施すると全く逆の結果が出るということになりました。
ネット世代を表す表現として「デジタルネイティブ」などと呼ばれる世代もあります。
76世代(1976年生まれ)、86世代、96世代などと呼ばれていますが、76世代以降がデジタルネイティブのはしりとも言えます。
これらの世代の心理的な調査も行われていますが、ネットの影響なのかそれ以外の影響なのか、判断が難しそうです。
この本の出版は実は2011年です。
それ以降、スマートフォンの爆発的な普及が起きていますので、状況はさらに変わっているのでしょう。
人間はどこへ行ってしまうのか。