インターネットは爆発的に広がり、今ではほとんどの人が接続しているような状況になっているように見えます。
しかし、その進展はそれほど昔から進んでいたわけではありません。
この本は、日本においてインターネットの広がりが徐々に進んでいた頃、それを推進していた中心人物のひとりであった村井さんが、分かり易く岩波新書で解説されたものです。
村井さんがJUNETを立ち上げて東工大と慶応大の接続を始めたのが1984年、そこから日本のインターネットが始まったと言われています。
その後、WIDEプロジェクトも創設し他の大学などとの接続へ拡大していきました。
その村井さんが1995年にこの本を書かれました。
世間はまだようやくパソコン通信というコンピュータ間の情報やり取りが始まった程度。
これは中心となる機関、ニフティサーブやアスキーネットといったところがサーバーを置き、そこに会員が電話回線で接続するといったものでした。
その頃すでにアメリカなどではインターネットが普及を始めており、日本でもその方向に進めようとしていました。
とはいえ、本書最初にあるようにその当時のネット接続のコンピュータ台数は1000万台以上と記されており、現在の日本一国の接続数よりはるかに少ない段階でした。
そんな時代ですので、本書もまず「パソコン通信」というものには触れている人々にインターネットを説明するといったところから始まります。
当時はパソコン通信以外にもすでに企業の社内ネットは整備されつつありましたが、やはりどちらも中心となる大型サーバーから専用回線や電話回線を通じて接続するというものでした。
従って、大型サーバーを設置する費用も莫大、専用回線になるとさらに費用が掛かるといった状況でした。
そこに、基本的な思想がまったく異なるインターネットを普及させようとしたわけです。
インターネットは常時接続のコンピュータ、それも個人所有などの小型のものを通して情報を送り合うというもので、企業内通信などを考えていた人々にとってはやはりかなり発想の転換が必要となるものでした。
(ただし、これは情報の安全という点では現在でも問題を引きづっているのかもしれません)
本書執筆時にはまだ夢の中のようなことであった話もふんだんに取り入れられていますが、多くはその通りに進んでいったということでしょう。
企業などでの社内ネット会議、ネットを使った通信販売、オリンピックなど大イベントのネット中継など、実際にその方向へとどんどんと進んでしまったことになります。
インターネット開発の原始時代とも言える時代だからこその色々な混乱についても話題として触れられています。
ネットでは日本語を使うのかどうか、これも相当な議論があったようですが、やはり広く普及させるためには英語だけでなく各国の言語が利用できるようにしなければならないと頑張ったようです。
コンピュータ上での言語処理は英語圏で始まったため、8ビットですべて片付けるようなものになっていたのですが、漢字を使う日本などではそれでは不足し2バイト(16ビット)が必要です。
すでに8ビット体制になりかけていたものを、何とか16ビットを使わせるように交渉を重ねたそうです。
そこには、英語以外の言葉を使う国々とも共闘をしていったとか。
このおかげで、ネットでは無理やり英語を使わなければということにならずに済みました。
もしもそうであったらここまで普及はしなかったでしょう。
最初の頃は国際的なネット接続でも国際電話回線を使わなければいけないということでした。
これの料金が非常に高く、ほとんど研究費もない参加メンバーはその捻出に苦労したそうです。
先行して普及していたパソコン通信とも乗り入れができるようになりました。
1992年のことだったそうですが、その後パソコン通信とインターネットの相互通信は爆発的に増加しました。
結局、そのためにパソコン通信はどんどんと崩れていってしまうのですが、利用者はそのままインターネットへと乗り換えることになりました。
これからのインターネットという最後の章では、「モバイル機器が必要」とか、「セキュリティについて」といった、今に至る情勢の正確な見通しがされています。
ただし、ネットセキュリティについては「セキュリティ技術はすでに順調に開発されている」としています。
まあ、技術としてはそうなんでしょうが、結局はネット参加メンバー(ということは大多数の国民となります)の意識の問題でセキュリティが伴わないということなんでしょう。
そして、「新しい地球の創造」と結ばれています。
たしかに多くの点でそうなったということでしょう。
この本を買った当時、私は家ではネット通信はできず、会社の社内ネットを通してインターネットも制限されながら接続していた状態でした。
その後すぐに家でもコンピュータでネット接続を果たしたのですが、まだ電話回線接続でその料金もかなり高かった覚えがあります。
それからわずか20年、その進歩には驚くばかりですが、その暗い裏面の拡大も激しいものになりました。