長期化した政権のおごりからか、テレビ報道などでの政治の扱いに政権が文句をつけるといった事例が目立つようになっていますが、テレビ登場の頃にはほとんど政治に関する放送はなく大した影響もないものでした。
しかし、テレビ放送の影響力はどんどんと増していき、それで政権の運命が変わることまで出るようになりました。
本書は2014年の出版ですので、安倍政権の初期までしか扱っていませんが、その後の状況もおそらく著者は別の著作を準備しているのではないかと思います。
テレビ放送が開始されたのは、1953年でした。
当時はまだ保守系の自由党と改進党、そして右派社会党、左派社会党が分立している状況でした。
テレビは放送開始とはいえ受信機も全国で16万(1955年末)と、まだほとんどメディアとしての力も無いころでした。
戦後すぐにはラジオ放送で、「日曜娯楽版」という政治風刺を売り物にした番組も存在しましたが、占領が終わり日本政府の管轄下に入るとそういった風刺は自粛、統制が強くなります。
そして、石橋湛山を始めとしてテレビ・ラジオを政権の広報に活用しようとする動きも強まります。
しかし、やはり本格的なテレビ時代に入ったと言えるのは、1960年代に入った辺からで、60年には受信契約者数が680万、65年には1800万となり、61年に新聞の3大紙契約者数を越えその後はさらにその差を大きくしていきました。
世帯普及率で言えば、65年で76%となります。
このような情勢の中で、60年安保改訂の際は新聞の論調は必ずしも改定反対ではなかったものが、デモ隊のニュースをテレビが繰り返し流すうちに風向きが変わりました。
実は、かつての国民的なデモの盛り上がりには、新聞の論調が重要な場合が多かったようです。
1905年に日比谷焼き討ち事件、1913年の第1次護憲運動などは、一部新聞が扇動するような記事を書き、それに読者が反応する形でした。
その点、この60年安保ではまったく新聞とテレビの役割が交代したことになります。
その後、ベトナム戦争の深刻化につれテレビと政権の対立という問題が大きくなります。
ベトナム反戦という番組を流すことがアメリカを気にする政権を刺激するという構図でした。
1968年のTBS成田事件を境に、テレビに対する政権の圧力により多くのドキュメンタリー製作者がテレビ局を去り、田英夫もTBSを退社します。
このように、テレビ局を黙らせた自民党ですが、ちょうどこの時期は都市部で自民党が勝てなくなりました。
美濃部亮吉の都知事当選など、革新知事が都会部に出現。議員選挙でも自民党の退潮が甚だしくなります。
佐藤栄作の退陣会見で、新聞記者の取材を断りテレビカメラだけにしろと主張したのも有名な事件です。
その後の記憶は強く残っているために本書の引用は終わりますが、テレビ側、政党側、双方が利用しあい、反発し合う複雑な構図が続きます。
最近では、ネットもからみさらに複雑な状況になってきました。
政党支持も大多数が無党派となり、その時々の雰囲気で大きく選挙結果が変わるということになると、テレビ報道の意味合いも大きくなってきます。
まだまだ混乱は続くのでしょう。
日本政治とメディア - テレビの登場からネット時代まで (中公新書 2283)
- 作者: 逢坂巌
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/09/24
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