爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

EPR(Energy Profit Ratio)の低いエネルギー源に頼るとどうなるか。

EPR(Energy Profit Ratio)、日本語では「エネルギー収支比」となります。

いろいろなエネルギー源を比較する有効な指標です。

これは、以下のウィキペディアにもあるように、「生産エネルギー/投資エネルギー」すなわち、投入したエネルギーに対し得られるエネルギーがどのくらいあるかということを示します。

エネルギー収支比 - Wikipedia

 

この値が大きいほどエネルギー源としては優れていることになります。

 

なお、上記のウィキペディアで示されている値は、火力発電(石油、石炭)で5~25、火力発電(天然ガス)で2~4、に対し、風力発電では5~54、太陽光発電では10~21と、かなり疑わしいものが記されています。

 

これに対し、前「もったいない学会」会長で東大名誉教授の石井吉徳さんはその多くの著書やホームページ上で風力、太陽光発電は極めて低いEPRしかないと論じています。

豊かな石油時代が終わる

 

私としては石井さんの主張の方にはるかに真実に近いものがあると感じています。

 

その中のEPRの図を引用させて頂きます。

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少し古いデータになりますので、その後の効率向上は多少はあるかもしれませんが、風力で15程度、太陽光は5程度ということです。

 

風力などは非常に大きな装置を作る場合が多いので、その運用終了後の廃棄などを考えればもっと必要エネルギーは肥大するのではないかと疑っており、すべての投入エネルギーを尽くせばさらにEPRは低下するのではないかと思っています。

 

EPR=1という値は、(産出エネルギー)=(投入エネルギー)ということで、エネルギー源としては意味がないことになります。

さらにEPR<5ではほとんど現実的ではないと思います。

ところが、太陽光発電風力発電では実際は1未満ではないかと考え、これまでこのブログでのエネルギー文明論ではこの開発は無意味であるとしてきました。

 

しかし、どうしてもそこに希望をつなぐしかないのか、相も変わらず「再生可能エネルギーの開発に注力」などと言う方針が政府からも出ており、さらに産業界もそれに期待する発言が相次いでいます。

 

このEPRの非常に低いエネルギー源しかなくなってしまったら、どういうことになるか。

 

これまでも何回も「太陽光発電が効果的と言うなら、太陽光発電だけで動かす”太陽光発電装置製造工場”を運用してみろ」と書いてきました。

これが実は「EPRが実用的かどうか」を示しています。

工場の屋根の上に太陽光発電パネルを敷き詰めても、その程度の発電量では工場の照明程度しか動かせそうもありません。

工場内の空調装置運転、様々な反応装置運転、そして工場内の物品移動まで、すべてのエネルギーを賄うことは無理のようです。

 

これは風力でも同様です。

つい先日、福島県沖に設置して運用試験をしていた超大型洋上発電装置の開発断念というニュースが流れました。

あれも、数十mの高さの鉄塔とそれを支える構造体、さらに巨大な羽根に至るまで、それを製造する過程にこの風力発電装置から産まれる電力だけを使っていたら何十年もかかりそうです。

この事実が「EPRが実は非常に低い」ということを証明しており、上記ウィキペディアの数字がまったく実情を表していないことを示しています。

 

とはいえ、とにかくこういった発電に頼っていくつもりなのでしょう。

 

するとどうなるか。

 

現在はこのような夢物語を追求していたとしても、電力はちゃんと供給されています。

石炭を中心とした火力発電所から。

それがある間は、放蕩息子の道楽であっても存在が許されています。

しかし、石炭火力発電所を目の敵にし、廃止しようという愚挙が実施されたらどうなるか。

石油や石炭などの化石燃料は諸説ありますが、やはりやがて供給は減っていくでしょう。

その時になってみれば、風力や太陽光が非効率でほとんど電力供給が無くなってももはや代わりのエネルギー源はありません。

電気料金は高騰し、一般家庭では辛うじて電球何個かを点灯するだけしか電気が使えなくなるかもしれません。

(まあ私が産まれた頃、半世紀以上前の状態に近いのですが)

現代文明の先端のようなIT化、電気通信の進化なども電気が無くなれば砂上の楼閣。

 

このような愚かな方向に向かうわけには行きません。

しかし、石油や石炭にいつまでも頼ることもできません。

やはり、「知性的にエネルギー依存からの脱却を図る」以外に取りうる道はありません。

そのように、計画的に脱エネルギーを図るという方向だけが混乱なく対処する方法です。

その道理から目を背ければ、今の老人は安らかに死ねたとしても今の青少年以下の世代はとても厳しい事実に直面しそうです。