現代文明は「エネルギー依存」であるのは明らかであり、それも過度に依存している状態です。
そのエネルギーのほとんどは化石燃料であったのですが、その使用を制限しようということになり、その代替をめぐるドタバタ劇が繰り広げられています。
しかし、高密度のエネルギーの塊とも言うべき石油や石炭の効率性は他に代えがたいものだということは明らかであるにも関わらず、無理やり非効率なものにしようとしています。
言うまでもなく、太陽光発電や風力発電といったものはとても化石燃料に代えられるようなものではないのですが、それに代えると言わなければ村八分にされるような国際情勢のようにも見えます。
この効率性を評価する指標がEPR(Energy Profit Ratio)、エネルギー収支率と訳されるものですが、これが石油では10以上、太陽光発電では3-5などという数字が出されています。
これらの数字には大きな疑問があるということは何度もここで書いていますが、どうも実際には太陽光発電の場合、せいぜい1から2、悪くすると1以下ということもあるのではないかと思っています。
しかし、これが3であっても決して高いとは言えません。
このような低効率のエネルギー技術にすべてを代えていこうというのが「国際社会」(なんだか実態が分からないようなものですが)の趨勢だそうですが、それでは本当にそれにすべてを託すようになったらどうなるか。
それを見ていきたいと思います。
太陽光発電のEPRが3,もあるはずはないのでとりあえず、「1.5」としてみましょう。
これがどういう意味なのか、なかなか実感できないかもしれませんが、次のように言えば分かりやすいでしょうか。
「1.5のうち、1はその装置を作り出すために使わなければならないので、ほかの用途に使えるのは0.5のみ」
太陽光発電装置は耐用期間がだいたい20年と言われています。
20年で発電できる電力量は地域によっても大きく差があると思いますが、もうすでにそれに近い年月を操業している装置も出てきているでしょうから装置の総出力も分かってきているでしょう。
もしもEPRが1.5であるとするなら、その装置の全耐用期間の出力の66%がその装置自体の製造に使われたエネルギーと相殺され、残りの34%のみが他の用途に使えたということになります。
忘れてはならないのは、現在の太陽光発電装置の製造に使われているエネルギーの大部分は石炭・石油などの化石燃料であるということです。
太陽光発電パネルの製造で大きなシェアを持つ中国のパネル製造にはほとんど安価な石炭火力発電の電力が使われていると言われています。
そのために、この非効率なエネルギー装置の矛盾が押し隠されていますが、もしもこれらの装置製造にも太陽光発電による電力を使うしかなくなったらどうなるか。
非効率な装置がさらに非効率となるということです。
太陽光発電装置製造の工場への電力供給のためにさらに多くの太陽光発電装置を設置しなければなりません。
そしてそれらの太陽光発電装置の製造のためにさらに多くの・・・って、何か無限に続く泥沼と言うことになりそうです。
現在のごくわずかな太陽光・風力発電装置の供給量であっても、各地でその設置場所の環境悪化、災害誘発の危険性などが頻発しています。
これ以上の設置増加はもう社会環境として耐えられないレベルに来ているのではないでしょうか。
ならば、化石燃料エネルギーをこれからも使い続けるしかないのか。
これは、二酸化炭素温暖化の激化につながり、大変なことになる、とは夢にも思っていませんが、そうではなく化石燃料の枯渇につながり、そちらの方がはるかに大きな問題となると思います。
とにかく、「エネルギーに依存する文明」からの脱却を図り、脱エネルギー社会への転換を一日も早く実現するべきなのです。