爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本問答」田中優子、松岡正剛著

日本近代史の研究者で現在は法政大学総長の田中優子さんと、編集工学というものを提唱している著述家、編集者の松岡正剛さんが、日本について多くの側面から語り合ったという、大変な内容のものです。

そこでは、日本の歴史、文化、言葉、社会、宗教、そして将来まで、手当たりしだいに取り上げて二人で語っていくというもので、この対談は実際には何日かかったのだろうと思わせるほど内容の濃いものとなっています。

 

最初は、日本に関して「内」と「外」から話し始めます。

現在の天皇家の正装は和服ではなく洋服です。

明治以降は常に洋装を選択していました。

服装は「外」のものを採用し、その周りに「日本的なもの」がまとわりつく。

そこに田中さんは「外を折りたたむ日本」を感じるそうです。

 

古代日本を見る時に感じられるのは「家」の存在感の大きさです。

天皇も「天皇家」という家でした。

その他の豪族もそれぞれが「家」を作っていきました。

そもそも、日本では国のことを「国家」といいますが、これは独特のものです。

なお、この場合に多くの歴史家が言うような「イエ社会」とは少し意味合いが違います。

日本の社会の根本が「家」であるということです。

 

また、中世から近世にかけては「公家」が文化的な中心となっていたことも特徴的です。

すでに政治的には武家が中心となっていましたが、日本固有の文化の継承は公家集団が中心でした。

和歌、蹴鞠、筆道、花道など、日本古来の文化や学問は公家の各家が家元となり伝承していきました。

一方、武家も新しく出来上がった武術、茶の湯、能などは伝承していきました。

両者は補完的に文化を守っていったと言えます。

 

現代日本での宗教観は、他の宗教とは異なりどれか一つの宗教を信仰しているかと問われると肯定できないが、宗教的な感覚は持ち合わせているというものです。

これは歴史的にもそうであったようで、多神教であるとも言えるのですが、神仏混淆を受け入れるのもこういった感覚によるものかもしれません。

その中で、戦国時代末期に入ってきたキリスト教一神教としてまったく違う観念をもたらしました。

そのために、他の宗教は宗教として弾圧されることはなかったのですが(一向一揆などは宗教としてではなく政治団体として攻撃されました)キリスト教だけは日本社会としては認めるわけには行かなかったようです。

そのため、キリシタンはイコール反秩序ということになり、乱を起こした人間はキリシタンだという風説も表れたそうです。

由比正雪大塩平八郎、熊沢蕃山など、キリスト教とはまったく関係の無い人々も反乱者であるということでキリシタンと考えることがあったそうです。

 

最終章は「日本の来し方行く末」と題されてはいますが、単純に未来の予想をするということではありません。

ただし、日本人の信仰というものはどんどん衰退し消滅していくだろうとしています。

こういうものは地縁的なつながりが必要ですが、今後もどんどん地縁の関係は薄れていきますので、やはり無くなっていくのでしょう。

 

非常に広範囲に深い話が続き、よく理解できない部分も多い本でした。

 

日本問答 (岩波新書)

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