著者の上野さんは万葉集が専門の国文学者ですが、専門外を承知であえて日本文化論を書いてみたということです。
書名の「教会と千歳飴」とは、著者のご両親が福岡県の町で小さな商売をしていたためか、いろいろな付き合いがあり中には宗教関係のものも多く、その役員などもどんどん引き受けていたそうです。
氏神社の総代、菩提寺の総代、敬神婦人会の役員、仏教婦人会の役員、そしてさらには子どもたちの学校がカトリックだったため教会の奉仕団体の役員も引き受けてしまいした。
そんなわけで、祖父母、父母が代わるがわるあちこちの宗教団体の役をやっていたのですが、たまたま母上が教会の役員だった時に、別々に行うのも面倒なので「教会で七五三もやってしまおう」と提案し、なんとそれが通ってしまったそうです。
その時は晴着を着た子どもたちが親と一緒に教会に来て「千歳飴」を貰って行きました。
宗教を真剣に考える人から見ればとんでもない話なのでしょうが、日本伝統の考え方からすればそれほどおかしなことでもなかったようです。
仏教を受け入れてしばらくすると、日本古来の神道と仏教を混ぜこぜに考える「神仏習合」ということが行われるようになります。
神仏が習合できるのなら、キリスト教の教会も習合してしまえというのは何の不思議もありません。
日本人の思考の基本には多神教があると言われていますが、どうやら「たくさんの神様がいる宗教」というわけではなく、「無限に神が生まれ続ける文化構造」のようなものではないかというのが著者の見解です。
天照大神に阿弥陀如来、キリストも神様として受け入れるというだけでなく、森や樹木、岩などにも神性を感じる。
そしてイワシの頭も、物差しまで神になったのが著者の生まれ育った家でした。
日本人には「宗教心」が無いとはよく言われることです。
しかし、「宗教心」はなくとも、「信心」はあるという人が多いのではないのでしょうか。
それが、仏教でも神道でもキリスト教でもなんでも受け入れてしまう「なんでも教」の信者だということです。
本書ではそういった「宗教の知恵」以外にも「農耕」「交易」「政治」「芸術」「歴史」といった場面での「知恵」についてあれこれと思う所を自由に書き綴っていきます。
なかなか面白い着眼と感じられるところも数多くありました。
「政治」の部分では「日本型民主主義には多数決などない」という見方も提示されていました。
日本型のリーダーとは自らの意志を押し付けるのではなく、根回しを十分に行って全会一致を成し遂げる能力があることが必要だとか。
それをやっていくためにどうしても会議が長くなるのだそうです。