世界の三大宗教としてキリスト教、イスラム教、仏教を挙げるのはほぼ間違いのないところでしょう。
その宗教にはそれぞれ経典という書物が残っています。
それらはそれぞれの宗教の性格に従い記されているものですが、同じように見ていくと意外に似たところも多いようです。
もちろん違うところもたくさんあるのですが、相互に比較してみると気が付くことも多いかもしれません。
原典に当たる前に各宗教で同じように行われている祈り、念仏といったものを見てもその類似性に気が付きます。
これらは一般の宗徒たちに広めるために作られたものですが、その類似性は意外なほどです。
いわば小教典とでも言えるものかもしれません。
本書では各宗教の経典、キリスト教の聖書、イスラム教のコーラン、仏教の仏典を一通り解説していきます。
それらは確かにその宗教の特性を表わしており特徴もあるのですが、それでも相互に類似しているということは感じられます。
なお、キリスト教、仏教の双方に深く関わっているものとして、宮沢賢治の「雨にもまけず」が挙げられています。
これはその内容からして明らかに宗教的な確信を表わしたものと言えるようで、賢治の宗教性を深く表しているものです。
その中では「ファリサイ人」という人たちが悪役として登場しさんざんに非難されています。
キリスト教がユダヤ教のあまりにも堅苦しく教条的なものから飛び出して成立したものである以上、ユダヤ教の教義を守るために厳しい戒律を守っていたファリサイ人を厳しく扱っているのですが、そのファリサイ人の末裔とも言えるのが現在のユダヤ教徒のラビであるということです。
キリスト教、イスラム教と比べて非常に数多い経典を持っているのが仏教ですが、本書ではその原典に近いと考えられるパーリ仏典を解説し、さらに大乗仏典も別に取り上げています。
パーリ仏典は東南アジアに残る上座部仏教の仏典として残っているものですが、それが仏教の原典にかなり近いものだと考えられています。
東アジアでは大乗仏教が広まりその仏典も独自の発達を遂げ非常に多くの仏典が残されていますが、仏教のもとの形に近いのはパーリ仏典と言われるもののようです。
中国に取り入れられた仏教では、多くの大乗仏典と言われる経典が作られました。
それらを直輸入した日本では訳すこともなく漢語のまま呪文のように唱えられました。
般若経、法華経といった仏典はその漢語のままの読み方で唱えられていますが、内容を理解することは漢文を知っている人にとっても相当に難しいもののようです。
私も家の菩提寺が曹洞宗のため葬儀や法事では般若心経が唱えられますが、その意味はほとんど考えられることもありません。
あらためて見てみると新鮮な思いがします。