ちょうど「長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録され、観光客も増加し、テレビでも時々その様子が放映されています。
しかし、その「潜伏キリシタン」(隠れキリシタンと言う方が通りが良いでしょう)の実態というものはあまり知られていないでしょう。
この本は宗教史学が専門で、ご自身も長崎出身であるために以前からカクレキリシタンの実情の調査も行ってきた宮崎さんが、その結果を踏まえてその姿を描写しようとしています。
カクレキリシタンというものは、一人で信じているといったものではなく、集落などでまとまって宗団を形成して続けてきたのですが、どんどんとそれが解散されています。
長崎の離島などが主ですので、それでなくても人口減が続き、若者も居なくなり担い手がいなくなっていきました。もはや継続は不可能となったのでしょう。
いろいろと基本的な疑問があれこれと浮かびますが、そこがカクレキリシタンと言うものの本質とも重なります。
なぜ、彼らを今でも「カクレキリシタン」と呼ぶのか。
かつてのキリシタン禁教の時代とは異なり、すでに「隠れる」必要はないのですが、それでも「カクレキリシタン」であり続けたのです。
「自分たちがキリシタンであることを知られないように隠れている」というのが普通の印象でしょうが、そうではなく「御神体を人に見せるとタタリがあるから”隠している”」と言うのが実像なのです。
したがって、本来は「カクレキリシタン」と呼ぶのではなく「隠しキリシタン」とでも呼ぶべき存在なのです。
彼らは今でも「キリスト教徒」なのでしょうか。
これは、「キリスト教徒」とは何なのかと言うことを明確にしなければなりません。
洗礼を受けた人、毎週教会に通う人、朝晩祈り(オラショ)を唱える人、等々の定義が思い浮かぶかもしれません。
しかし、そもそも室町時代にザビエルの日本布教開始後の約半世紀に40万人のキリスト教改宗者が生まれたと言われていますが、彼らがすべて「敬虔なクリスチャン」であったとは、とても言えないようです。
まず改宗した大名や領主たちは、宣教師を通じて南蛮貿易を行う事ができるとして形だけクリスチャンとなりました。
そして、その家来や領民たちは領主に半ば強制されて改宗しました。
とても、キリスト教の教義を理解してのことではありません。
しかも、その後宣教師は追放されたり、殉教したりして17世紀なかば以降は日本には一人の宣教師もいなくなりました。
キリスト教の教義を伝えられる人もなくなった中で、その信仰が正しく伝えられたとは考えられません。
そのため、明治以降に禁教令が解かれたあと、フランスなどから宣教師がやってきてもそこに参加することもほとんど無く、それまでのカクレキリシタンの伝統を守り続けました。
彼らは、実質的にはキリスト教徒とは言えず、典型的な日本の世俗宗教の信者と言えるでしょう。
著者は宗教研究を始めた1980年代以降、各地のカクレキリシタン宗団の調査をしてきました。
彼らはキリスト教の信仰を守るという意識はなく、先祖から伝えられた信仰の行事を伝えることだけが目的でした。
オラショ(祈り)もその意味はまったく伝わらず、ただ呪文としてのみ口伝えされました。(これは、文書を残したら証拠となり処刑されるからという意味がありました)
伝統オラショだけではなく、あとから創作されたものもあるようですが、いずれもその内容は現世利益を求めるものであり、キリスト教の本来の来世利益を祈るものは一つもありませんでした。
なお、著者は「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」と言う用語はやはり意味が違うと考えています。
江戸時代の禁教令が出ていた時代の人々が「潜伏キリシタン」、明治になり禁教令が解かれたあとも以前の信仰形態を続けている人々を「カクレキリシタン」と呼ぶべきだろうとしています。
最後に、キリスト教布教の現状についても触れています。
結婚式は皆教会で行うようになった現代日本ですが、キリスト教の信者に正式になっている人々がごくわずかです。
カトリックとプロテスタントをあわせても65万人ほどだそうです。
これは、韓国の1400万人と比べると大差があります。
どうやら、韓国やフィリピン等のアジアで多くの信者を獲得している国々では、かなりキリスト教も国独自の変化を許容し、土着化をしているようです。
しかし、日本ではそのような変容は認めようとせず、かたくなに本来の教義を守っているために改宗者が少ないのだとか。
なかなか、深刻な問題が含まれているものだと思いました。
カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰 (角川ソフィア文庫)
- 作者: 宮崎賢太郎
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