爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「宗教で読む戦国時代」神田千里著

戦国時代の宗教については、つい先日もキリスト教殉教者という観点からの本を読みました。

sohujojo.hatenablog.comその本はキリスト教からの視点が強かったようですが、今回読んだこの本は仏教など日本在来の宗教からの観点で戦国時代末期から江戸時代初期の宗教について描かれています。

 

東洋のキリスト教化を目指したイエズス会は、ポルトガル国王と連携し日本への布教を試みました。

1560年にガスパル・ヴィレラは幕府から布教許可を得ることに成功し、さらにルイス・フロイスを派遣します。

その後も多くの宣教師が送り込まれ、九州を始め日本各地でキリスト教布教活動を活発化させます。

宣教師たちはイエズス会本部に当てて多くの報告書を提出しました。

それらを見ると現地日本の大名や宗教者たちの様子というものも見えてきます。

ただし、かなり強いフィルターがかかっているので注意は必要です。

 

 戦国時代の日本の宗教は、一向宗禅宗が強いとは言えその他の宗派も勢力を持ちそれらが争いながらも共存していました。

当時の認識としては、宗派が異なってもその根本としての神仏の中心は同一で、それが「天道」だというものでした。

そこに、絶対神のみを敬うキリスト教が入ってきても、日本人からはあまり違和感なく迎えられたようです。

ただし、キリスト教側から見れば、そのような日本の宗教というものは限りなくキリスト教の教義に近く見えてしまい、これは「悪魔の仕業」と言わざるを得ないほどのものだったようです。

 

キリスト教布教の始めも、仏僧との討論が重要でした。

仏僧はそれまでにも他宗派との宗論で鍛えられており、宣教師も哲学の知識が無いものは派遣するなと言う報告をイエズス会に送ったほどでした。

 

著者は最初にキリスト教との対比として日本では仏教各宗派が互いに勢力を競いながらも根本のところでは同じ仏教として認めあっていたとしています。

しかし、通説によれば戦国時代は宗教間の対立も激しく、一向一揆法華一揆、また教派間の武力抗争も頻発していたと考えられます。

この点について、実は一向一揆というものの性格の評価が違っていたとしています。

 

加賀国一向宗徒が国を奪ったとされる、長享二年の加賀一向一揆も、宗派として団結はしていたものの、信仰の危機に対してではなく政治的立場からの結束であったとすべきであるということです。

 

また、信長と本願寺の抗争において、信長は本願寺門徒を憎むあまりに各地で一揆の参加者を皆殺しにしたという風に言われていますが、これも長島の一揆で見せしめのために行ったのは確かですが、他の一揆では決してそのようなことはせず、石山本願寺での石山合戦の最終局面でも皆殺しどころか降伏した宗徒は退去を許すといった行動を取っています。

 

なお、この「信長は無神論者であり仏教とは厳しく対立した」というのは、キリスト教宣教師が本国に当てての報告にある記述であるために、客観的な観察で真実に近いと考えがちですが、実は宣教師たちの宣伝が含まれている可能性が強いようです。

 

信長がキリスト教を認めたと言われていたものの、秀吉から家康と時代が移るとキリスト教弾圧に向かいます。

これも、キリスト教布教を名目とした侵略に対するためとの解釈が多いのですが、それ以前に宣教師や日本人教徒たちが仏教寺院や仏僧たちを迫害したためという理由がありました。

大名みずからキリシタンとなった、大村領や有馬領では寺院の破壊、仏僧の殺害といった仏教攻撃が激しかったようです。

そのため、当時は仏教の宗派間では宗教自体を問題とした戦闘などは認められないという認識が強かった中で(上述)、このような行動を取るキリスト教に対する反発と不信感は大きく、キリスト教の排撃につながったようです。

 

島原の乱についても、上述の「殉教」という本ではキリスト教の観点から語られていましたが、本書ではその他の見方も交えています。

 

島原や天草では、いったんキリスト教徒となったもののその後棄教した人々が多くいました。

しかし、極端な不作が起き、年貢の取り立てのために拷問を加えると言った圧政を加えられたところに、天草四郎が出現しこれを頼みとしてキリスト教に再び入信する「立ち帰り」と呼ばれる人々が続出したそうです。

ただし、それは天草島原の地域内でも集落によって異なり、立ち帰りを起こさないところも多かったのですが、急進的な集落のキリスト教徒たちが武力で威嚇して従わせるということも起きました。

さらに、立ち帰りが圧倒した地域では仏教寺院や神社の破壊、仏僧の殺害といった事件も起こします。

そのために鎮圧しようとした領主に対し一揆と化したようです。

 

その最後は原城に籠もった信者全員が死亡したと言われていますが、実際は上記のように無理やり反乱軍に参加させられた人々も多く彼らは降伏を認められたそうです。

 

これまでの固定観念というものにいくつか修正を加えなければならないようです。

 

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)