爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「男女共学の成立」小山静子、石岡学編著

高等学校の男女共学というものは、今でもすべて行き渡っているということはなく、別学の学校もありますし、男女比が大きいという学校もあるようです。

しかし、戦前までは旧制の中学校、女学校は完全に別学でした。

それが敗戦し占領軍の軍政が始まると学制改革で新制高等学校が作られるのですが、それは男女共学とすることを軍政部からは強く要請されました。

ところがそれに日本の教育界ばかりでなく多くの人々が抵抗したようです。

そしてそれがその後の高校教育というものの様々な姿を作り出してしまいました。

 

そういった状況について、典型的な各都道府県の状況をそれぞれに地域の教育史について詳しい研究者たちが分担してまとめています。

取り上げられている地域は、別学が主であった福島県、群馬県、既存の単一学校を共学化した北海道、京都、男女比が極端に不均衡な共学となった熊本、男女別定員をもうけた東京都と男女同数を目指した大阪府、複数の学校の統合と再編を行った青森県、和歌山市、そして福岡県久留米市と鹿児島県を取り扱っています。

 

なお、軍政部からの圧力で共学化をしなければならなかったのは県立市立の公立校のみで私立高校はそれに従うことはありませんでした。

そのため、各都道府県でも私立校の多いところとほとんどないところでは大きな違いが生まれています。

また同じ県内でも私立校の多い地域とそうでないところともその対応は違っています。

 

現在でも県立高校の別学が定着しているのは、埼玉県、群馬県などの関東地方が多いようです。

実はこれは終戦後の占領軍軍政部の対応が地域によって異なったためのようで、関東地区の軍政部は教育関係の担当者がさほど圧力をかけなかったため、別学のまま残すことができたからのようです。

その他の地域、特に関西などでは担当者が非常に共学化への強い圧力をかけ、無理やりの命令を出したため仕方なく従ったからということです。

 

なお、その当時の軍政部の命令には、男女共学の他に小学区制の導入ということもありました。

その地域から通える高校は一校だけにしろというもので、中学区、大学区というものが普通で学校間格差があることが前提であったそれまでの感覚とは大いに異なることだったため、これに対しても多くの反対意見が出ました。

これに対する対応も地域によって差が出たようです。

 

多くの人々からの反対意見というものは、男女共学にすることによる風紀の乱れというものに対する不安感もありましたが、それよりもはるかに大きかったのが「男女の学力差が大きいので共学にすると男子の学力も下がる」というものでした。

特に各地域の伝統校、進学校でそういった反対が強く出たようです。

今の感覚からすると全く逆のようですが、当時は女子は大学進学の希望もほとんどなく、学力をつけるより家事を身に付けさせる教育の方が重視されていたためだったということです。

またそのために家庭科の教育環境が準備できないということも共学反対の理由として挙げられました。

 

それにしても学制改革とほぼ時を同じくしてほんの数年の間に共学化も学区制も変えてしまえという軍政部命令というのは、現代では考えられないような状況ですが、これが戦後の占領体制だったのでしょう。

その感覚というものはよくは分かりませんが、その混乱の一端がうかがえるような事例が描かれていました。

 

なお、私の通った神奈川県の高校は共学ではあったものの男女数がかなり違っていました。当時は3対1程度の比率であったのではないかと思います。

これもやはり戦後すぐの混乱があとを引いていたのでしょうか。

その学校のすぐそばには県立でありながら事実上の女子高があり、それで一組になっているという感覚だったのかもしれません。

その頃でもまだ「女子は難関大学挑戦などあまりしないから」といった認識が普通だったのですが、今はもうすっかり変わってしまったようです。