「国史」といってももうほとんど分かる人はいないかもしれませんが、戦前の学校での日本史授業のことを国史と呼んでいました。
ということで、この本の題名は「おやじ」世代が学校で国史を習い、「むすこ」世代は日本史を習っていたということを示しています。
本書の出版は1977年、「おやじ」世代は昭和1ケタ生まれで、「むすこ」世代は昭和30年代生まれを想定しています。
著者の福田さんは当時大阪の私立高校の日本史教諭、自分は学校時代に国史で歴史教育を受け、その後戦後になって歴史を学びなおし学校の日本史教師となったそうです。
というわけで、「歴史教育」の変化と言うものを親子関係に投げかけながら説いていきます。
戦前の「国史」教育というものは、天皇制を補強するための神話をそのまま歴史に入れ込むというもので、その後の展開も天皇を中心として官軍賊軍を色分けし勧善懲悪を説き明かすというようなものでした。
そのため、その当時の「おやじ」世代はいくら歴史好きと称していても「むすこ」世代が習っている日本史とはほとんど共通することもないということを強調しています。
しかし、だからと言ってその当時1970年代の歴史教育が正しいということも言っていません。
当時は大学入試も共通一次テストが始まる直前で、有名校の入試でも難問奇問が続出するという状態でした。
それは日本史でも同様の状況で、高校の日本史教科書を隅から隅まで見て、そこに書いてあれば入学試験に出してもいいだろうと言わんばかりの出題が横行していました。
戦前の国史では、天皇制擁護の立場しかなく、ゆがめられたものだったのですが、かと言って戦後の日本史も立場と言うものが何もなく、大学入試でも何を問うかの哲学を無くして受験者の間違いを誘い点数を下げようという動機しか見えなくなっていたということです。
この本の出版から40年以上がたち、当時の「おやじ」は「祖父」、「むすこ」が「父親」となり、さらに大学入試も共通一次から始まりあれこれと変わっています。
しかし、「歴史の入学試験で何を問うか」という哲学自体が存在しないという状況には変化はないように思います。
入試の点数の配分といったものに左右されるような試験問題というのも本末転倒と感じます。