皆がインターネットに接続し、SNSなどを使うようになっていますが、そこでは人間関係のドロドロが実社会よりさらにひどくなっているようです。
冒頭に小島慶子さんが書いているように、「現代人はデジタル原始人」秩序の形成などはほど遠い将来のような状況で、欲望と粗暴さが渦巻く原始ネット社会を生きています。
そのようなネット社会をジェンダーという共通項でくくりながら、様々な方向から見ていきます。
第1章、眞子さまはなぜここまでバッシングされたか、第2章炎上する萌えキャラ、美少女キャラを考える、第3章なぜSNSでは冷静に対話ができないのか、第4章なぜジェンダーでは間違いが起きやすいか、第5章スマホ時代の公共の危機、
といった具合に様々な著者が語っていきます。
皇室関係の記事というものは、以前の女性週刊誌全盛時代からその大きなテーマの一つでしたが、その読者は女性(しかも少し年上の)たちでした。
しかしネットに広がると読者層が大きく拡大していったそうです。
そんな中で起きたのが眞子さんと小室氏の結婚問題でした。
報道するメディア側もその炎上の激しさには驚くほどでした。
しかしだからと言って報道を止めるわけにもいかなかった。それは商売上の理由もあってのことです。
ネット上で激しい非難を浴びせられることで、自殺してしまった人も続出しています。
しかし、ここで考えなければならないのは「ネット世論は世論ではない」ということです。
当人にしてみればネットを見ればすべて自分に対する激しい言葉の批判のようですが、実はそれを書き込んでいるのはほんの一握りの人にすぎません。
ある研究によれば、ツイッター(現X)でネガティブな発信をしているのは、ユーザー全体の0.00025%でしかないそうです。
これは40万人に一人程度。
そういった人が同じことを繰り返し書き込みます。
それもそういった人々はいくつもアカウントを持ち、別人が書いたかのように見せかけることもあります。
ごく少数の人間がネガティブな発言を繰り返しているだけでも、あたかも世論のように感じてしまいます。
その他大勢の人々はそういった意見に反対でも、自分が口を出すとそのために自分が攻撃される危険性も大きいため、何も言えません。
ネットで「おおかたの意見」を見ようとしても、実際には「極端な意見」しか見えないことになります。
ジェンダー問題やハラスメント問題など、多くの問題は「同質性」が作用しています。
日本の企業や組織では「組織に忠誠を誓う男たち」という同質なメンバーで動いてきました。
それが一見効率的で組織力につながっているかのように見えていたこともあったのでしょう。
しかし、現代ではかえって「同質性のリスク」の方が大きいのでは。
同質性が高すぎる組織は不祥事も起きやすいようです。
そこには「集団浅慮」という状況が起きてしまいます。
一人一人は優秀なのに、集団となると個人の総和よりも劣った意思決定をしてしまう。
「集団の実力の過大評価」「不都合な悪い情報を入れない」「内部からの批判や異議を許さない」「他の集団をきちんと評価しない」「逸脱する人を許さない同調圧力」「集団内の規範を重視する」といった特徴があり、それが集団の力を削ぎます。
集団を多様化することが必要なのですが、現状に胡坐をかいている人たちはそれをしようともしません。
様々な視点からの有益な情報が数々得られました。
