爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ウイルス学者さん、うちの国ヤバいので来てください。」古瀬祐気著

著者の古瀬さんは新型コロナウイルスパンデミックの際にはクラスター対策班の一員として活躍したのですが、結構名前も売れたもののそのために誹謗中傷にもさらされたという経験をお持ちです。

医学部卒で医師でもあるのですが、いろいろと多彩な経験をしているということで、そういったことについて書いています。

 

大学は医学部を選び入学したのですが、そのまま医師となる気はまったくなく、医学部卒業前からフィリピンへ感染症の現状解析の研究に出かけるといった行動に出ます。

そのため医学部卒業までは9年間かかるということになるのですが、その後は一応研修医として勤めます。

しかしそれで収まるわけではなく、博士研究員としてアメリカへ。

ウイルス学や細菌学の基礎研究をやり、その後はあちこちの大学(国内外)を転々とします。

 

その後、2014年にアフリカのリベリアで起きたエボラ出血熱パンデミックの際にはWHOの感染症コンサルタントとして現地に赴き、壮絶な体験をすることとなります。

この時にはWHOからばかりでなく、各国も支援の医療チームが多数派遣されていました。

著者の見たところ、欧米各国ばかりでなく中国からも派遣されていましたが、その多くは軍隊の医療隊のような組織であり、その行動力は素晴らしいものだったようです。

しかし日本はそういった組織もなく、数名が著者のような立場で派遣されるにとどまり、支援の立ち遅れは明らかだったようです。

ただし、各国から派遣された人々の中にも感染して死亡する人が多数になり、そういった場合に軍隊以外では難しい問題もあるようです。

 

2020年に新型コロナウイルス感染が日本でも広まった時には著者は京都に居たのですが、政府のクラスター対策班で指導的な立場だった押谷さんという方が著者の恩師だったため、すぐに呼ばれて参加することになりました。

軽い気持ちで一泊程度の荷物を持って上京したのですが、それから5か月間ホテルに泊まりっぱなしとなったそうです。

 

その当時の対策チームの奮闘ぶりというのはかなりのものだったようで、うまく行かないこともありますができる限りのことをしたというところのようです。

ただし傍から見ると批判したくなるという人も多かったようで、様々な意見や誹謗中傷にさらされました。

ストレスが高まり病気発症という人もいたようです。

 

私も見た覚えがありますが、「政府の対策班にウイルス学者が入っていないのはおかしい」とウイルス専門家が批判したそうです。

しかし著者から見たところ、「ウイルス感染症」の対策をするのにウイルス専門家がふさわしいとも言えないようです。

感染対策を行うのは感染制御学と公衆衛生学という分野の人であり、それを横から支えるのがウイルス学者や疫学者ではないかという意見です。

このウイルスにはアルコール消毒剤が有効ということで早くからその使用が広まりました。

しかし一般的なウイルスにはアルコール消毒は無効であり、このコロナウイルスに限ったと言っても良い性質です。

それが分かるのはウイルス学者ですが、しかしアルコール製剤を広く調達し流通させ使用させるというのはやはり公衆衛生学者や感染制御学者の分野でしょう。

とにかくこのような現場には多くの分野の専門家の緊密な協力が不可欠ということです。

 

まだ記憶に新しいパンデミック対策ですが、その裏話ということで興味深いものでした。