新型コロナウイルスの感染拡大に対処するため、多くの方策が取られましたが、そこには個人の自由を制限するものも含まれていました。
都市封鎖などはその最たるものですが、海外からの入国者の制限、その隔離、国内での旅行業や飲食店の営業制限、いわゆる「感染予防対策」、そしてあの「マスク着用の義務化」などです。
それらに対して、進んで実行する人、他人にまで強制する人、面従腹背する人、無視してしまう人など様々な対応が見られました。
こういったことは他の「公衆衛生」に関する施策でも同様です。
この本では、パンデミックのみに止まらず肥満対策や健康格差、そして罹患者に対する自己責任論など、公衆衛生とそれに関わる倫理というものについて細かく論証しています。
一応、各章の題名を挙げておきます。
序章「公衆衛生倫理学の問題関心」
第1章「肥満対策の倫理的な課題」
第2章「健康の社会経済的な格差の倫理」
第3章「健康増進のためのナッジの倫理」
第4章「健康をめぐる自己責任論の倫理」
第5章「パンデミック対策の倫理」
第6章「自由としての公衆衛生へ」
公衆衛生というものは社会全体の健康状態を向上させるという目的がありますが、その実行手段の中には個人の自由を損なうものもあります。
身体を壊すような自由、喫煙や過度の飲酒、不摂生な食生活をするような自由などは制限しても良いというのは極論で、ほんのわずかな適量過剰でも病気を引き起こすこともあり、それも取り締まれということはできないでしょう。
いずれにせよ、正か邪か、簡単に二分できるようなものではなく、どちらへも目を配りながら進めなければならないものでしょう。
肥満対策などはパターナリズム(父権主義)という立場が色濃く出るものです。
父親がその子供の行動を規制するように、太らないようにああせいこうせいとうるさく指導することが多く、そうしなければ成果も上げらないことになります。
しかしこのようなパターナリズムに対する批判も古くから根強くあります。
ただし、パターナリズムにも強いものと弱いものがあり、弱いものは否定すべきではないとの考えもあります。
ここにも自己責任論が入りこむことがあり、統制できない生活のせいで肥満となった人の医療費まで公的に援助する必要はないということも言われます。
公的医療費の財政困窮が激しくなるとその意見も強まります。
しかし、予防的に肥満に対処することが無料でできるわけでもなく、それと肥満を防いだことによる医療費削減が釣り合うかどうかも不明のようです。
肥満対策に限らず、あらゆる健康増進政策について「行き過ぎたパターナリズム」「健康の道具化」「自己責任論」「スティグマ化」の懸念があることは考慮しなければなりません。
人々の生活に対して不当な介入となったり、当人の健康を第一の目的とせずにそれを政治利用するものが含まれていたり、不健康を非難することで自己責任の過剰な強調をしたり、不健康になってしまった人に対して抑圧的な事態を招いてしまう恐れです。
健康増進のためのナッジの利用ということは注目されています。
ナッジとは「行動をそっと後押しする」という意味で、上から命令するようなやり方ではなく自然に選択するようなイメージでより良い行動をとることがしやすいように導くということです。
「大腸がん検診の検査キットの送付」について、「受診すれば来年も送られる」というメッセージを「受診しなければ来年は送られない」に変えることで、受診率を増加させたというようなものが例となります。
そこには「既得権益を守りたがる」という行動心理学の理論が活かされているということです。
ただし、ナッジとはいっても何らかの意図をもって誘導することに変わりはないようです。
自己責任論も露骨な形のものは批判され、科学的な根拠を問われて否定できるのですが、これも曖昧な領域が多く微妙な事例があります。
健康を巡る自己責任論では「本人に責任を帰属すべき不健康を(しばしば恣意的に)特定し、社会的なサポートを提供することを否定し当人を道徳的に批判する」ことがあり、これは倫理的に問題がありますが、しかし公衆衛生において「責任」というものは人々の行動変容を求める上で必要なものであり、手放すことはできません。
ここに「自己責任論を回避しつつ人々の責任を問う」という困難な課題が生まれてきます。
そこで本書で注目したのが、過去の行為について問われる「後ろ向き責任」と将来の行為について要請される「前向き責任」の違いです。
現在の健康状態について過去の行動の責任を問う「後ろ向き責任」は排除しつつ、将来より良い健康を得るための「前向き責任」を求めるということは両立可能です。
むしろ、人々が自ら責任を引き受け努力するような社会を作るべきでしょう。
著者は政治哲学、倫理学が専門の学者ですが、本書を通じ若い人により公衆衛生倫理学を目指してほしいという希望を持っています。
なかなか難しい分野ですが、やりがいはあるかもしれません。