著者の五箇さんはダニが専門の昆虫学者ですが、国立環境研究所で生物多様性や生態学を担当しているということで、生物学と人間の生き方との関わりといった方向でも盛んに活動されているようです。
テレビのコメンテータとしても登場されるということです。
この本は生物学の説明だけに止まらず、人間社会や人の生き方といったことにも重点を置き、自分自身の研究歴も明かしています。
生物のしくみとして最も興味深く、誰もが関心あるだろう「性」というところから話を始めていますが、無性生殖か有性生殖かといった話になると一般の興味とは大きく外れてくるのでしょう。
しかし、生物が環境に対応していく力を付けてきた大きな要素が有性生殖への移行であったということです。
無性生殖はクローンを作り出すだけであり、親とほぼ一緒(変異が無い限り)のものができるのですが、もしも環境の変化が大きければ対応できずに滅亡するだけです。
しかし有性生殖で様々な形質に分化していればもしかしたら大きな環境変化に対応できるものも生まれるかもしれない。
それを思えば、子どもが親とはかなり違っているということで悩むのは間違いなんでしょう。
さらに遺伝と遺伝子といった話も分かりやすく説明されています。
しかし遺伝学が中途半端に発達した段階で、それを全く曲解した優生学などと言う理論が暴走してしまいました。
ナチスドイツのユダヤ人虐殺が有名ですが、世界各国でそれにより大きな人権侵害が行われており、日本でも数々の例があります。
しかし人間の浅知恵で無くそうとした遺伝的形質がかえって必要だったということもありそうで、短い人間の歴史だけで遺伝の優劣などは分かるはずもないのでしょう。
そこから著者の現在の業務とも密接に関わる生物の多様性といった話が展開していきます。
絶滅危惧種を守るといった話は聞きますが、それが何のためかということがなかなか理解されにくいようです。
熱帯の土壌から取った細菌などが作り出す物質や、動植物の体内物質が生理的価値が大きいからといった理由で生物多様性が必要というのが分かりやすい理由でしょうが、そればかりではありません。
多様な生物が共存する環境というものが、人類という種の生存にも必要であり、それが失われれば人類も滅亡する危険性もあるということです。
本書執筆は新型コロナウイルスの感染拡大の前に行われていたのですが、それでも著者は東京オリンピックによるパンデミックの危険性を予言していました。
本書校正の時にはすでにパンデミック拡大になっており、追記もされていますが、このような感染症拡大というのは生物学的に見れば十分に起こり得るものと考えられます。
人類が数十億人にも増殖し世界を覆い尽くす状況になれば必ずそれを減らそうという動きが働くというのが生物の常道です。
新型コロナウイルスなどは死者数はそれほど大したものでは無いのですが、これが数十%となるようなパンデミックによる調節というものもあり得ることです。
最終章では著者の研究歴が記されていますが、ダニの研究で京都大学で修士号までは取ったのですが、博士に進むことを教授からも勧められたものの経済的な問題からあきらめて民間企業への就職を選びました。
そこではちょうどそれまでの研究と近い分野での仕事に恵まれたのですが、やはり企業の論理と科学的倫理との間では大きな差があり、それ以上続けることはできないということになったそうです。
科学者としては当然のような決断ですが、それができる人がどれほどいるものか。
多くの人は企業の論理に負けてしまうのではと思います。