東京に住んでいるとあまり実感がないかもしれませんが、地方ではテレビ放送は独自の地方局があり、その放送内容はほとんどが東京のキー局の制作番組であるものの、一部の番組やローカルニュースなどは地方色が見られるものがあります。
このような「放送のローカリティ」はどのようにできてきたのか。
それを研究の一つの目標としていた著者が、博士論文として書いたものに加筆したのが本書です。
そのためか、読者に読ませるということよりも正確性と内容の深さに重きを置いたものとなっており、あまり読みやすいというものではないのですが、それは仕方ないでしょう。
なお、著者の樋口さんは大学で理工系を修めてNHKに技術職として勤めたものの、さらに放送全般についての研究を目指して大学に戻ったという方です。
日本で電波による放送というものが始まったのは大正時代のラジオ放送からですが、当初は各地でバラバラに地方局が立ち上がったものの、やがて戦争期が近づき国策としての放送という観点から中央集権的な放送体制となっていきました。
それが抜本的に変わるのが敗戦から占領期にかけてでした。
もともとヨーロッパ各国が国としての放送体制を固める傾向があったのに対し、アメリカは各地独自の放送を進めており、占領軍がほとんどアメリカにより指導されたため放送体制もアメリカによって地方優先のものとされました。
とはいえ、最初の頃のラジオ放送だけの時代ではそれも可能だったのですが、すぐにテレビ放送時代となるとそれを地方だけで行うことは費用の点でも人材の点でも不可能となり、東京のキー局が作った番組を流すだけという系列化が進むこととなります。
そこに、各県での放送免許を当初は一局だけとするといった政府方針のため、各地で免許の取得を争うということが頻発します。
そしてそれが二局、三局と進むにつれ各地で地元資本とキー局、さらに新聞社などが関ることになっていきます。
各県一局の放送局の体制というものは、それ以前にも戦争期に新聞を各県一紙にまとめるということが進められ、それまでの各県数十紙もが乱立していたという状況から無理やりまとめたという例があったため、さほど目新しいことでもなかったようです。
免許交付に際しては県内の新聞社を中心として県知事が強力に関わり話をまとめさせるといったもので、戦前に行われた新聞や、鉄道・バスで実施された統制と同じ手法が用いられました。
このような統制的手法をGHQがどう考えていたのか疑問が生じますが、どうやら逆コースとなった状況下で民主的ということを推し進めるよりは共産主義の侵入を決して許さないという方向が主となったため、認めたのではないかとしています。
ラジオは地方でも番組制作が何とかやっていけたため、東京のキー局とのネットワーク化ということがさほど進まなかったのに対し、テレビではすべて自前で番組を用意するということは地方局では到底不可能であったため、極めて初期から東京のキー局作成の番組を放送することとなりました。
当初は各県一局だったので、東京の複数局からの番組を組み合わせて放送できたのですが、徐々に系列化が進むこととなります。
最近はネットワークの強化がさらに進んだようで、ローカル独自番組が減少しているようにも見えます。
以前から地方局制作番組は午前と夕方のみという時間帯だったのですが、このところ夕方の地方制作番組の時間がかなり減少しています。
ローカリティがさらに狭められていくのでしょうか。
