テレビを見ていたら「SDGsと農業」というテーマの番組をやるという予告があり、「どうせ有機農業とSDGsの話だろう」と考えて、「その間違いを指摘してやろう」ということで、あれこれ調べてみたらもっとひどいものに行き当たりました。
(なお、結局その番組が何なのかは分からないままです)
「SDGs、農業」というキーワードで検索してみたら、色々なサイトにSDGsでの農業分野の事例といったものが出ているんですが、その内容を見たら「有機農業」どころかもっと「持続」とはかけ離れたものが満載です。
例えば、コンサルティングの会社らしきもので次のように語られています。
事例としては、
AIによる画像認識でイネ開花を報せてくれる自動システム
AI技術を用いた自動収野菜穫ロボット
農畜水産物の新たな流通支援プラットフォーム
なんていうのが載っていました。
これのどこが「持続可能」なんやねんと、関西弁で突っ込みたくなります。
この認識のずれというものは、やはりSDGsの内容から来るものなんでしょう。
それが「sustainable」という言葉を使っているということで、どうしても「永遠に続けられる」ということだと感じてしまい、「なら余計なエネルギーなどは使わないんだろうな」と思いがちですが、そうではないんでしょう。
(前にSDGsという言葉が聞こえだしたころに調べて書きましたが、「別に”世界に正義を”でも成り立ちそうです)
SDGsというものを見てみれば、「17の目標」なんて言うものが書かれています。
その中に、「飢餓をゼロに」というものがあり、そこで「食糧生産などに力を入れる」といったものがすべて適用できるようになっているんですね。
そこには「sustainable」なんて言う概念は何の関係も無いのでしょう。
というわけで、SDGsという言葉に過剰反応してしまった顛末については終わりです。
しかし、せっかくですから「なぜ有機農業はsustainableではないのか」ということについて触れておきましょう。
ただし、いわゆる「有機農業JAS規格」では天然物などの抗菌物質が使えるといった話ではありません。
もっと根本的に”農業というものは簡単には「sustainable」にはできない”という話です。
よく、自然農法を広めると称する人たちの取り上げる事例で、「原生林では肥料も農薬もやらずに植物がずっと生えている」ということがあります。
しかし、これは「その区域から何も取り去らなければ持続できる」ということです。
そして、それでは「農業」にはならないということを忘れています。
農業はどのような産物を作る場合でも何らかの収穫物をその農地から取り去ります。
その収穫物に含まれる養分はその土地から離れて消費者の元に行ってしまいます。
これを元の農地に戻さない限りはその土地の養分は減り続けてやがて作物は育たなくなります。
それを補うために肥料を施すのですが、その成分はどこから来ているのでしょうか。
堆肥などの有機質肥料であれば良いと考えるのが有機農業でしょうが、その堆肥の元となるのはたいていは家畜の排せつ物でしょう。
その家畜は何を食べているのか、現状では大半が輸入した穀物飼料です。
つまり、飼料輸入が途絶えれば有機農業自体が成り立たなくなるということです。
それを避ける道が一つだけあります。
それは、農産物を出荷して食べた人々の糞尿をすべて回収して元の農地に戻すこと。
と言うことは、もしもその農地でできた農産物はその土地ですべて消費されていれば、その地域の人糞を堆肥化して農地に肥料として施せばいいことになります。
けれど、実際はそうじゃないでしょう。
農産物は売れる都会に出荷して金を儲けたいけれど、まさか都会の糞尿を戻すわけにもいかないでしょう。
このように、「農産物を収穫して出荷する農業」は持続できないということです。
持続するためには都会など消費地の糞尿をすべて有機肥料にして耕地に戻すという体制を作らなければなりません。
そして、それをするためには堆肥を運送するということも必要になり、そのエネルギーを考えれば、持続はどうしても不可能になるということです。
以上、こういったことを書こうと思っていたんですが、元の話があまりにも低レベルだったので、がっくりしました。
SDGsというのも胡散臭い話ですが、あまり簡単にsustainableという言葉は使ってほしくないものです。