最近のことですが、衆議院選挙制度で小選挙区制が定められた1994年当時にその批判を本にしたものを読みました。
これは元東京タイムズの政治部記者から次長までなって、その後政治評論家となっていた本澤二郎さんという方が1993年、小選挙区制制定の策謀が為されていた時にその行く末を論じたものでした。
(詳細な書評はそのうちに公開します)
これを読むとその後の進展というものがまさに本澤さんの考えた通りに進んでしまったことがよくわかります。
「小選挙区制は金がかからない」などということが言われていたのですが、まったくそうではなくかえって中選挙区制より金を食うということもその通りでしょう。
さらに、小選挙区であれば対象となる選挙民の数も少ないため買収もやりやすいとまで書かれていました。
これもおそらくその通りなのでしょう。
政党の党首や党本部の支配力が強くなり、イエスマンしか議員になれないと予告されているところなど、まるで今の自民党を見てきたかのようなものです。
公認を貰えなければ候補にもなれないというのはその直後の小泉の郵政選挙ですぐに露呈しました。
その当時に推進派から言われていたのが、二大政党制になり政権交代が容易となるというものでした。
今でもそれがなぜ推進の理由になるのかさっぱり分かりません。
多様な民意というものが二政党で集約できるはずもなく、民主主義など見せかけにすぎないということは、現在のアメリカを見てもよくわかるところです。
当時はリクルートや佐川急便事件など、金と政治というものの問題が頻発している時であり、その政治腐敗を何とかしろという世論を逆に利用して小選挙区制に持っていこうとしていました。
本澤さんも書かれていた通り、そのような問題を解決するためには選挙制度ではなく、政治腐敗防止法といったものを強化するのが当然であるのに、それには全く手も付けようとしなかったのが政治家(与野党問わず)でした。
これは、現在も全く同様の状況です。
そして、それを利用して別のことに手を付けようとしているというのも同じなのかもしれません。
こういったことが行われていた時、私はもう40歳前後のいい大人でした。
しかしこういったことにはまったく関心も向かず仕事ばかり。
それがこのような時代を招いたのかもしれません。