爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「戦乱と政変の室町時代」渡邊大門編

時代小説や映画テレビで扱う歴史時代のほとんどは室町時代末期の戦国時代か江戸時代幕末で、その他の時代はあまり見たことも無く、そのイメージもつかみにくいものです。

辛うじて学校時代の歴史で習ったことでは、初期には南北朝の争いがあり、応仁の乱から後は乱世となり戦国時代になだれ込むといったものですが、それでは室町時代の他の頃は平穏な世だったのでしょうか。

 

そんなことはないということを、室町時代が専門の歴史学者たちが書いてくれました。

これを見ると最初からあちこちで戦いが頻発していたようです。

その前の鎌倉時代も有力御家人たちが次々と殺し合うというものだったようですが、室町時代も負けず劣らずの殺伐としたものだったのでしょう。

 

扱われているのは、明徳の乱応永の乱上杉禅秀の乱永享の乱結城合戦嘉吉の乱禁闕の変享徳の乱、長禄の変、応仁・文明の乱、明応の政変ですが、辛うじて名前だけは聞いたことがあるのが、結城合戦嘉吉の乱、応仁・文明の乱といった程度。

それも誰と誰が戦ったのかもよく分からないといった状況です。

 

それでも分からぬままに読んでいくと、有力な守護大名、細川だとか山名とかが争うというのも多いのですが、それ以上に足利将軍家が乱の中心というものも多いようで、それも家臣の争いに巻き込まれてというだけでなく、将軍自ら主導的に関わる(というか乱を起こす)ということもあり、そういう時代だったんだと改めて納得します。

 

また関東を統治するために将軍家の分家のような形で鎌倉公方(のち古河公方)といったものが置かれ、それがまた戦の種になっていくというのも何度も起きているようですが、この辺はあまりにも煩雑になるためか高校の日本史でもほとんど習っていないことで初耳といったものが多々ありました。

 

結城合戦というのは、永享の乱で敗れた鎌倉公方足利持氏の遺児の安王丸と春王丸が結城氏にかつがれて反乱を起こしたというもので、15世紀半ばのものですが、これが失敗したことでそれまでの「鎌倉府体制」が完全に崩れ、関東管領上杉氏を中心とする関東の統治が成立したということです。

しかし上杉氏の勢力はさほど強くならずかえって足利幕府の直接の関与が強まったとか。

 

享徳の乱はその後15世紀後半に鎌倉公方であった足利成氏関東管領上杉憲忠の争いに端を発し30年に渡って続き戦国の世につながるのですが、上杉方の勢力として山内上杉とその家宰の長尾氏、扇ガ谷上杉氏とその家宰の太田氏といった名前が出てきて、太田道灌もこの時代に活躍したそうです。

ただし、太田道灌はあまりにも勢力を増したために上杉氏により粛清されたとか。

 

いやはや、よく知らない時代の話でしたが、室町時代も最初から戦国の世のような時代だったということが分かりました。