著者の塩崎さんは、神戸大学名誉教授で都市計画などが専門。
阪神淡路大震災からの復興にも関わった方です。
その復興も完全には終わっていなかった間にさらに大きな震災が東北を襲いました。
著者が「復興災害」という言葉を最初に使ったそうです。
「災害復興」ではありません。
「復興」自体が正しい目標に向かって住民たちの事情や要望に沿って進められているとは到底言えないような状況で、阪神淡路大震災から10年が経っても多くの被災者たちが仮設住宅で孤独死をするということが頻発していることをそう表しました。
東日本大震災は復興に大規模な国家予算が投入され、政権担当者も復興が第一と口では言っていますが、実情はとてもそのような状況ではないことを示しています。
復興というものが、かえって被災者たちに悲劇をもたらす。
まさに「復興災害」としか言えないような事態が繰り返されています。
6434人の犠牲者を出した、阪神淡路大震災からこの本執筆の時点で20年が過ぎました。
この震災からの復興は、「創造的復興」というスローガンを立てて実施されました。
しかし、実際の復興事業はその看板のもとに「開発的復興」として実施されました。
全部で823の事業が行われましたが、その中には住宅土地統計調査、住宅需要実態調査といった、通常時にも行われるような統計調査も入っています。
一概に分類はできませんが、大甘で言っても復旧復興事業に10兆8000億円(67%)、今後の防災事業に1兆6000億円(10%)、震災と直接関係しない通常事業に3兆8000億円(23%)という内訳になります。
この通常事業の中には、地下鉄海岸線建設に2350億円、神戸空港建設に2495億円、関空二期埋め立てに8326億円という巨大プロジェクトも入っています。
阪神淡路大震災で被災者のために作られた仮設住宅の費用が、撤去費まで含めても一戸あたり400万円、総額1920億円でしかないのと比べると、被災者のための復興事業などとはとても言えないものでした。
仮設住宅のずさんな建設、災害公営住宅の被災者の事情や気持ちを考えない作りなど、反省がなかったために東日本大震災で再び失敗を繰り返す愚行を続けています。
また、阪神淡路の場合は家屋倒壊による被害者が多かったために、死は免れても身体に障害を受けた人が多かったにも関わらず、まともに調査がされておらず「震災障害者」がわずか328人しか捉えられていないというずさんな行政が見られます。
これらの震災障害者に対しての支援策もほとんど実施されないままになっています。
阪神淡路大震災の復興という問題をきちんと整理し、反省するということが行われないままに起きた東日本大震災では、さらなる愚行が繰り広げられることになります。
東日本大震災の復興に向けて、「東日本大震災復興基本法」が制定され、さらに復興庁設置法が定められて復興大臣も置かれることになりました。
このように、形だけは政府挙げて復興に取り組むといった風に見せていますが、その内実はひどいものです。
復興構想会議という組織が作られ、そこで復興の理念・考え方が制定されました。
そこには、「被災地主体の復興を基本としつつ国としての全体計画を作る」といったキーワードとともに、「明日の日本への希望となる青写真を描く」という言葉も紛れ込ませています。
これが、実は復興予算を日本国内の全体に流用しようという悪だくみの基となりました。
復興予算として、巨額の国費が投入されることになりましたが、阪神淡路のときとは比べ物にならないほどに被災地とは全く関係ないところに復興予算が使われるという事態が起きました。
被災地外で行われる事業で大きいのが「全国防災対策」です。
全国の官庁や学校の耐震化工事がこの「東日本大震災復興事業」で行われています。
これは「津波被害」がほとんどであった東日本大震災の復興事業としてはまったく筋違いな話です。
他にも、全国各地の下水道事業、ごみ処理施設などへの流用が目立ちます。
さらに、雇用対策事業も被災地だけでなく全国の都道府県に配られています。
これも、「東日本復興事業予算」の中から支出され、その中には国民から取り上げた「復興税」が含まれています。
仮設住宅の必要性も格段に大きいものとなりました。
2014年、3年半を経た時点でも避難者が25万人近く居るという状態でした。
また、その特徴としては、元々被災した住宅の多くは持ち家であり、しかもかなり広い住宅に住んでいる人が多かったということです。
阪神淡路大震災の時は、被災者の多くは借家世帯であったのに対し、住宅に対する概念がかなり違っていました。
それにも関わらず、応急仮設住宅として建設されたのは変わらずにプレハブ住宅が主でした。
居住環境のあまりの差に被災者たちの暮らしにくさも大きなものでした。
このような「復興災害」と呼ばなければならないような劣悪な復興事業への反省がなければ次の災害への備えはできないでしょう。