国交省の有識者(なんの”有識”だか)会議の提言とやらが出て、JRなど鉄道事業者が廃ししたくてたまらない赤字ローカル線については条件をもうけ国・自治体・鉄道事業者で協議しろという、一見まともそうなものを出してきました。
そもそもローカル線の赤字問題というのは鉄道事業者の責任はほとんど無く、その存続を願うのは地元自治体の勝手でもありません。
旧国鉄時代の末期にもローカル線の赤字が大問題かのような集中的な報道もあり、それを追い風にどんどんと廃止されて行きました。
それでどうなったのか。
バス路線に移行したと言いながら、そのバスもいつの間にか無くなってしまったところが多いのでは。
安易な「バス路線化」の危険性はここにあります。
鉄道であればそれが運行しているかどうか一目瞭然ですが、バス路線となるとそこに一日何本のバスが走っているか、また本当に運行しているかなど、他の地域からはよく分かりません。
それを良いことにまた「バスも赤字」を理由に廃止されても止めようがありません。
そもそも、公共事業は赤字でも続けなければならないというものが存在します。
今は自治体任せになっている水道事業などもまさにこれにあたります。
公共事業でダメだから民間委託などと言うさらにバカの上塗りをしては大変なことになります。
そして、鉄道もかなりこれに近い意味があるのではないかと思います。
地元自治体に押し付けて金を出させようなどとするのも不可能です。
そもそもほとんど財政基盤の弱いところだから乗客もいないのですから、余裕もありません。
乗客のほとんどは通学の生徒たちだということで仕方なく出すという自治体の弱みに付け込んだものですが、これもそもそもになりますが「鉄道はその地元だけの財産か」ということがあります。
全国どこにでもレールがつながり時刻表一冊で旅の計画が立てられるということは、国民全体の財産です。
地元が高校生の通学手段が確保できるからと言って廃止バス化に賛成されたら無くなるというのでは困ります。
そもそも(なんか”そもそも”ばかりですが)鉄道が赤字になったというのは自動車交通への有形無形の資源投資により出来上がったものです。
自動車利用者は高いガソリン税や自動車関連税を負担しているなどと言いますが、実際には道路整備や維持管理費などの多くは国や自治体の出費であり、その丸抱えの上で走らせているにすぎません。
鉄道会社はそのすべてを自らの経営の中で捻出し賄っています。
その間には公正さなどは一つもなく、鉄道を無くし道路だけにしたいという思惑すら感じられるものです。
いまだに全てをJRなどの鉄道事業者に押し付けた交通行政のひずみはこの後地元自治体だけを巻き込んでさらに迷走しそうです。