爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ヨーロッパ中世ものづくし」キアーラ・フルゴーニ著

ヨーロッパの中世というと、教会の支配のもと沈滞した社会といったイメージがありますが、実際には今に続く多くのものがその頃に生まれ、発達していました。

そのような中世の姿を、眼鏡やボタン、フォークといった物品だけにとどまらず、アラビア数字の0の導入、キリスト紀元、音符に至るまであれこれと取り上げてみたものです。

 

冒頭に取り上げられている、眼鏡というものも中世に発達してきました。

まずガラスというものが利用できるようになる必要がありますが、それの形状によりレンズとして使えることが分かり、さらにそれを使うことで読みにくい文字などを見ることができるようになるといった段階で発達してきました。

 

眼鏡を発明した人物として名前が挙げられていたのが14世紀のドメニコ会士のピサの修道院で暮らしていたアレッサンドロ・デッラ・スピーナという人物ですが、実際には間違って伝わった名前のようです。

そうでなくても、様々な人々の改良が重ねられて眼鏡というものになってきたのでしょう。

しかし、広く使われるようになっていったのは間違いなく、今に伝わる数多くの絵画の中に「眼鏡をかけた人物」が徐々に登場するようになります。

 

服についているボタンというものもこの時期に発明されました。

これも誰から始まったということも判りませんが、これによって服飾が大きく変わっていきます。

現われたのは13世紀のイタリアですが、広まっていくのは次の世紀からになります。

その時期にはかなり高価なものだったのですが、女性たちは喜んで高額な対価を支払い、政府は次々と奢侈禁止令を出して規制しようとしました。

ボタンをつけることで衣服は体にぴったりと密着することができるようになり、袖をタイトに作ることで身体の線を美しく見せることができるようになりました。

 

キリスト教徒にとって、天国に行くか地獄に行くかは大問題だったのですが、中世の時期に「煉獄」というものが創造されます。

地獄に行くほど悪いことをしたわけではないが、それでも天国に行ける資格はないという人々を収容する先として格好のものでした。

しかしその煉獄の姿を描くには少し想像力が足りなかったようで、地獄と大して変わらないような場所にしか見えなかったというのはちょっと物足りないところでしょうか。

 

最後に、「訳者あとがき」があるのが常なのですが、この本では別人が書いていました。

訳者は高橋友子さんという方なのですが、あとがきは大黒俊二さん。

実は岩波書店から高橋さんに執筆の依頼がされていたのですが、高橋さんが急死、編集者から大黒さんに「原稿がないか知らないか」との報せがあり、遺品の中から探したところほぼ完成した翻訳原稿が見つかり出版に至ったということです。

この訳書が遺作となったのでした。