爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「戦争の危機が増したから軍事費を増やす」は正しいのか。

ロシアのウクライナ侵攻という大きな事件が起きて以来、戦争の脅威が増しているから防衛費(もう軍事費と言った方が正確ですが)も増やさなければならないという論調が力を増してきました。

 

陰謀論的解釈から言えば「それで利益を受ける者がその事態を作り出した」と考えるのでしょうが、さすがにロシアに侵攻を決断させたのがアメリカなどの軍需産業であるとはちょっと言いにくいところでしょう。

しかし、確実にこれらの企業には大きな利益がもたらされているのは間違いないことです。

 

日本にもロシアの脅威は存在し、さらにそれよりも危なそうな中国や北朝鮮といった国々の情勢も危険性を増しているようです。

 

こういった状況に対するに「憲法を変え」「軍事力を増強する」しか道は無いのか。

 

もはやそれしかないと言った圧力が強まっているようです。

ところが実際には逆であり軍事費を増やすほど戦争の脅威が増すと考える方が正しいように思えます。

 

歴史的には軍備に全てを注ぎ込みそれを使って広がり続けた狂暴としか言えない国がいくつも存在していました。

中国戦国時代の秦、アレクサンドロス大王マケドニア、アッチラ大王のフン、ジンギスカンのモンゴル、ヒトラーナチスドイツ、第二次大戦後のアメリカなどでしょう。

そして現在のロシア、潜在的に現在の中国もそうだと考えられそうです。

こういった国々の標的となりかねない国はそれに対しての軍備を整えなければならなかったのでしょうか。

 

まず、このような強大な軍事力を持った国に対抗するには同様以上の軍事力が必要になります。

今のロシアや中国に互角以上に対抗できなければやがては敗北でしょう。

ウクライナが持ちこたえているのも欧米から多くの兵器が供与されているからです。

これをもし自前で事前に準備していたらどれほどの費用がかかったでしょうか。

おそらくウクライナGDPの2%どころの額では済まなかったでしょう。

 

そこまでの軍事費をかけても、そのリターンはありません。

「もしも」侵略を受けた場合はそれを防げる(かもしれない)というだけです。

その結果どうなるか。

軍事費ばかりに国の財力を傾ければ他の方面がおろそかになり、公共工事社会福祉も文化振興もどんどんと痩せ細っていくでしょう。

そして、その国自体の魅力もどんどんと減少しいき、「侵略する価値もない」国になっていくかもしれません。

 

しかし、それならそういった危険な国はどうすればよいのか。

 

実はそういった国でも侵略に踏み出すにはやはり何らかの理由があってのことです。

フン族などの遊牧民族の侵略もその居住域が気候変動により住めなくなったためと考えられています。

ナチスドイツが侵略戦争を始めたのは第一次世界大戦敗戦の講和で莫大な賠償金をかけられ、それが国の復興を妨げて絶望したためでしょう。

ロシアのウクライナ侵略も周辺諸国がどんどんとNATO加盟に走ったための危機感からと言われています。

中国が色々とやり出しているのも、経済力で非常に大きく発達を果たしたにも関わらず、「力以外での現状変更」に欧米各国が全く応じないからでしょう。

 

軍事力に頼るのではなく、こういった国々を追い詰めず、その希望を真剣に考えていくことが本当の外交ではないでしょうか。

 

日本ばかりでなく欧米の主要国のいずれも軍事費をさらに増すという方向になってます。

それらの国のほとんどが国家財政に全く余裕などないところばかりです。

どうも皆一斉に破綻しかねないように見えますが。