山の名前にはかなり変わったものもあり、面白いものもありますが、その紹介だけに留まらない内容の本です。
著者の大武さんは山岳雑誌の編集者を務めたあとフリーのライターとして活躍しているという方ですが、もともとは大学で民俗学を専攻していたということで、そういった方面の興味も持っていたのでしょう。
さらに、アイヌ語の地名については専門家の小野有五さんに書いて貰った文章を挿入することで専門性と正確さを上げている点もただの地名紹介ではない格式を与えています。
また、富士山信仰にからめて東京近辺の富士塚を紹介するなど、幅広いものを見せてくれます。
とはいえ、メインはやはり山名に関して。
「山の名前」の下に付くのが「やま・さん・せん・がく・だけ」などと数多いのですがこれらの由来にも理由がありそうです。
まず、もともとの大和言葉は「やま」ですが、中国から漢字が伝わり「山」という字が「やま」だということが分かるとそれを付けた山名が付けられるようになります。
ただし、遣唐使が持ち帰ったころの知識では漢音で「さん」だったのですが、それ以前には呉音で「せん」という読み方も通用していました。
これも地域的には優勢なところがあり、山陰地方には「せん」という読み方が多いそうです。
日本の山は山岳信仰と深く結びついていますが、信仰に由来する山名も非常に多いものです。
権現、阿弥陀、金峰、蔵王といった名前の山はあちこちに存在します。
これには山岳仏教の修験者たちの活躍も関わっていたようで、全国で修行を繰り広げたのが山名にもつながっているようです。
江戸時代には富士山信仰が広まり、特に関東地方では富士山に参拝することを目的とした富士講と呼ばれる組織があちこちにできました。
皆が金を出し合って交代で富士山登山に向かうというものですが、かなり体力が必要ということで壮年の男性以外には難しいものでした。
そのため、女性や年配者でも富士のご利益をということで築かれたのが富士塚だということです。
富士山の溶岩を持ち帰り、それに泥や石を追加して数十mの塚を築き、そこに登ることで富士登山と同じような意味を持たせるということで、江戸を中心に多くのものが築かれたそうです。
なお、やはり富士の溶岩(ボク石)を多く使うと金もかかるということで、江戸も中心部の金持ちの多いところには溶岩が多く使われている豪華なものもあったのですが、町はずれになるとそうもいかず、ボク石がほんのちょっとで後は土や石で築かれたものが多かったそうです。
最後に「難読山名コンテスト」というものがかつて開かれたということですが、その上位のものが掲載されていました。
1位 一尺八寸山 これが「みおうやま」だそうです。大分県日田市
2位 爺爺岳 「ちゃちゃだけ」 北海道国後郡
3位 月出山岳 「かんとうだけ」 大分県日田市
いちおう、その由来も書いてはありますが、ほんとかどうかわかりませんので載せません。